2008年12月29日月曜日

NUM42 LAST LIVE! 12/28 (SUN)


ゲスト・バンドのひとつでDJでもミスター・パンが参加したこともあるTHE NEATBEATS。しかし、相変わらずトークが長いよ、マーナーベーー!オモロイやんか、しかし。来年もよろしくね!



この日DJで頑張ってたロンナイ・ファンの春太郎。デカいリーゼントとサングラスに背中いっぱいのtatooがポイント。優しい兄貴です。
カミさんもいいんだよね〜。



DJの1曲目は、その前のバンドがTHE NEATBEATSだったんで、空気を読んでロケンローな、ザ・ビートルズのトニー・シェリダンがいた頃の演奏で「My Bonnie」。「いい娘じゃないか」もグーですね。



NUM42は並木くんが42才で始めたから。ギターがタケシくん(トルネード)、ドラムがアツシくん(元スタンス・パンクス)で息はピッタシ。



 昨日、28日の日曜日に川崎のチッタで、ぼくの古い友人でイベント「HEADROCK NIGHT」の主宰者であり、ポップ・パンク・バンド、NUM42のベース/ボーカルのnamijinこと並木くんにDJを頼まれていたので、出かけてきました。今回は、ドライバーはオサムちゃんではなく、ハギにお願いしました。ハギがワイヤー休みだってことで。昔、彼がぼくの運転手だったこともあるから慣れたもんです。


 正直、ぼくが会場に着いたのは、もう8時半を回った頃で、イベントは夕方からだから、終盤だったんです。楽屋にいたら、隣の「アティック」のオヤジ、DJコブラが現れて「オレも今京都から帰ったばかりなんすよ」だって。元チェッカーズの武内トオルくんと石田一成くんとでMETROで「ディスコ・ナイト」とかをやって来たとか。かなりな大入りで何でもウケました、って、そりゃそうよ、そのメンツならゲーノー系でもあるし、確実にファンがいるからMETROじゃ酸欠にもなるわ。

 
 そういうバブリーな話とは別の世界にチッタはいました。やっぱり、ロックなイベントはいくらバンドがメインのものでも、ネームバリューとか、そういうところで明らかに「格差」はあるから。ウチのロンナイも今年はバンドがたまたま「 ZEPPクラス」の人たちが集まったからチケット即完になっただけで、毎年800人を入れるのに大苦労してますから。
 

 まぁ、そういうわけで、ぼくがDJをやる頃には(時間30分オシで、10時過ぎからまず15分)、お客さんの数はザッと見て300人くらいってとこでした。でも、ぼくのDJにも反応してくれた人もいて、何度かこのイベントに出たことあるんで、「親戚」みたいに思ってくれてるのかも。ロックンロールとパンクだけでDJしました。なんつってもnamijinのテーマは「ENJOY PUNK ROCK」だからね。だから、彼らがバンド作って世界の唱歌やポップスのカバーをやる、と聞いた時にも当然のように思ったし、だからこそ、そのアルバムで解説も書いた。完全に「童謡パンク」だけど、彼らは意図してそうしている「確信犯」だから認めるんです。


 で、この日でそのSUM41ならぬNUM42もファイナルを迎え、イベントはそのまま続きますが、namijinは新たなバンドで新たなチャレンジをしていくということです。果たしてどんなパンク・ロックが出てくるのか、来年春にはその答えがわかるみたいです。namijin45才。頑張ってほしいね。

2008年12月27日土曜日

また原宿SMOKEでDJ


クリスマスです。DJもサンタ仕様です。ギャルDJはよけいキュートでしたよ。キムラコウくんの知り合いとかでハウスからUKロックまでいろいろプレイしてました。



これは会場で使用されているカラフルなキャンドル。ターンテーブルの前にも置いてあります。キャンドルライトは暖かみと微妙な輝き具合が雰囲気造りにピッタリです。これを作って販売もしている女性たちがCANDOLL。意味は「出来る女たち」ですって。ナール。



 ほぼ毎月ですが、原宿のラウンジ「SMOKE」で毎月最終木曜日に行われているパーティー「LAST THURSDAY」が、今月も25日のクリスマスの夜にあり、ぼくがまたまたDJをして来ました。このパーティーの意図は、原宿という街のさらなる野性的な、有機的な街としての活性化を目指す、という見事に壮大なものなんだけど、ボスのミスター・クロサキのパワーを原動力として、20代そこそこの若者たちが現場を、いろいろと試行錯誤を重ねつつ牽引している。

 今月はクリスマスでもあり、ぼくに与えられたDJのテーマは「PEACE」で、そういう幸福感が時代に今より満ちていたと思われる60年代から70年代にかけてのロック/ポップスで、というもの。フランス人歌手で当時日本でも大人気だったアダモの名曲「雪が降る」からシットリとスタート。先週のロンナイでも同じでした。それから、ヨーロッパ、イギリス、アメリカなどのポップスをメインにプレイしました。
あんまり、ダンスダンス!なパーティーではないので、このくらいのユルい感じがイイんじゃないかな。


 来年も1月の最終木曜日にあります。テーマは「HARD」とのこと。時代がハードなのか、生きること自体がハードなのか、その意味の取り方はさまざまです。まぁ、そうは言っても、ボスからは「ハード・ロック」でガンガン行こうと言われてますけど。入場無料ですから、時間があれば気軽に飲みに、食べに来てみてください。SMOKEは表参道交差点から青山方向に少し行った右手、CHANELの入ってるビルの4階です。PCで検索しても出てくるかと思いますよ。

2008年12月26日金曜日

CROSSROADS 12/24 CHRISTMAS EVE


左からKatchin'、大貫&トシミくん  でも、トシミくん、写真撮るときたいていこんな感じで「怒!!!」なポーズが多いんだよねぇ。
やっぱ、体育会系だからすか?


 
 恒例の月イチのトーク&音楽鑑賞の夜、CROSSROADS今年最後の回が12月24日のクリスマス・イブの夜に渋谷のOrgan-Barでありました。今回のテーマは、みんなのリクエスト大会、みたいなもので、まぁ、普段はぼくがアレコレ題材を探し集めて、あーだ、こーだ、と自分の体験とかをふまえつつ音楽を聴いたり、映像を見たりしてお喋りするんだけど、一方通行はイカンな〜、と勝手に思い、みなさんのオススメを紹介させてもらいます、ということで好きな音楽を紹介してもらうことにしました。


 そしたら、これが予想外に多くの方に参加していただき、時間内に応募の全員のニーズに応えられなくなり申し訳ない事態になりました。1時間半じゃ、お話だけでもやっぱりそれなりに時間取られるから、5〜6人が限界でしたね。


 まぁ、でもお客さんのロックに寄せる熱い気持ちは十分に感じたし、いろいろな音楽を聴いたり見たり出来たので、ぼく自身いい刺激になりました。お客さんからも好評でしたから、また、機会があればやってみようかと思ってます。

 
 ご存知のように、このぼくのイベントの後、夜中にはカッチンが中心になってSGROOVEやMACK DADDY、CHABEくんたちとやっているDJパーティー「JUNGLE GYM」があり、今回はトシミくんのZOOT16ワンマン・ライブがありました。そこで3人で記念写真を。トシミくん、だいたいいつもこういう「怒!!!!」な感じのポーズが多いんだよね〜。ちなみに、ショーちゃん(SHJ)とムラジュンのコンビも来てました。チンザノのハーフ&ハーフおごったんだよね、ショーちゃんには。1時頃まで滞在しましたが、SGROOVEとDADDYは現れず、チャーベをからかってお疲れ帰宅。


 来年も「CROSSROADS」は続けたいので、みなさん、お時間あれば是非1000円だし、気軽に寄ってみて下さい。有料入場者はなんと15人!!その前日のワイヤーのレギュラー・ロンナイより成績良かった、なーんて呑気に浮かれてる場合じゃないッスけど、嬉しかったです。しかし、実際新宿はヤングが夜中ほとんどいませんよ。ロック・ファンには来て欲しいんだけどなぁ、ロンナイには。

2008年12月22日月曜日

今日はさすがにオフ


サテンで紅茶とケーキのセットをいただきました


 ロンナイX’MASとGRC立て続けに二日間ありましたから、さすがに今日はオフりました。


 地元の自由が丘の喫茶店で紅茶とケーキでくつろぎ中。

 
 そして、明日はレギュラーのWIREでの今年ラス前のロンナイ。ヒカルくんはすでにホリディ・シーズンに入りオフ。ですから、DJは大貫、稲葉、SHOJI,YOSSY,U-ICHI&RYOHとなります。ゲストの学くんも事情によりお休みなんで、純粋にウチらだけです。休日ですが、夜中、なんとなく思い出したら遊びに来てください。


 MERRY CHRISTMAS EVERYBODY ( By SLADE)

2008年12月21日日曜日

LONDON NITE X'MAS 09御礼










 昨日は恒例のクラブ・チッタでのクリスマス・ロンナイ無事に盛況のうちに終了しました。これも、サポーター、出演者、スタッフのみんなのおかげだと心から感謝します。


 今回は、例年にも増して多数のお客さんに来てもらえて、ロンナイを改めて認識してもらえたかと思うと、感激です。もちろん、バンドの集客力によるところが大きいのも重々承知しています。確かに、BRAHMAN,THE BIRTHDAY,TOKYO NO.1 SOULSET,MASTER LOWとくれば、どれもがZEPPクラスでもワンマン出来るくらいのひとたちです。
 でも、この4組が一緒に、フェスでもないのに共演する機会はそうはないと、バンド諸君からも聞きました。いろいろな要素が組み合わさり「ロンナイならではのサムシングが生まれるのが魅力じゃないかとも言われました。


 そんな仲間たちがいるから、ここまでやれたし、今後も同じようにやれる、と確信しています。28年が過ぎ、29年目に向けてまた新しいスタートを切ろうとしています。そして、それはイベントではなく、毎週毎週の地道なクラブ活動としてのロンナイがあってこそ、だと思ってます。確かに、状況はキビシイものがあります。でも、だからといってやり方を変えたりする気は毛頭ありません。週末に出来ればイイかな、と考えてはいますけどネ。

 いずれにしても、とにかく応援してくれたみなさんに感謝し、親戚付き合いのバンド、DJ諸君にも感謝しています。これからも引き続きみんなとともにロケンローしていけたらと思う、年の瀬です。
 てか、今からGRCですけど・・・。

2008年12月18日木曜日

2008年12月17日水曜日

本日収録でした


恒例の「イベント」、渋谷くん(手前)のNHK-FMでの番組「ワールド・ロック・ナウ」に今年も、伊藤政則(奥)とともにゲストで参加して来ました。キレイな、というか事務所みたいな感じのスタジオですよ。


ここが4階のラジオのスタジオ。だいたい、このフロアのスタジオを使用しますね。やはり、NHK、とてもキチンと事務的な感覚でスタジオが並んでます。もちろん、いい意味でね。居心地はいいです。広く、清潔で。


 今日の夜9時から毎年恒例になっているNHK FMでの渋谷陽一くんの番組『ワールド・ロック・ナウ』の年末特番的な、渋谷、伊藤政則、大貫憲章という化石化したような音楽評論家3人による鼎談大会の収録がありました。
 まぁ、例年並みにこの年の瀬にこの道30数年というロック好きなオヤジが集まり、公共の電波を使って、「あーでもない、こーでもない」と互いにそれぞれの立場から意見を出し、熱く、あるいはクールにその年のロックについて喋り倒そうというものです。もちろん、すべて洋楽です。
 今年は時期が多少遅くなり、今日収録したものが明後日19日の金曜日にはOAされます。最終週ではなく、その前なんですね。
 さて、渋谷くんはあくまで聞き手にまわり、こちらの意見やチョイスにチャチャを入れる役割で、本人いわく「1年で一番オレがラクが出来る回」とのことで、確かに、我々のチョイスに自己陶酔気味なご意見をいただきました。
 そのへんのやりとりは、もう付き合いも長いので、お互いがよく理解してますから、実にスムースに進行しますね。はたして、今年、セーソクが、ケンショーが何を選び、それについていかなる論議がなされたのか、聴いてのお楽しみです。金曜日、すぐですから、お忘れなきよう、お願いします。

2008年12月13日土曜日

いよいよカッチンが始動です


ウチの代貸しです。その昔はTOKYO SEX PISTOLS、その後もバンド活動で、DJなんてまるで興味なかったのに、イギリス取材で180度変わっちゃいました。以来、DJで10余年。ウチのDJでは初めてのクリエイターです。




 ささ、みなさん、こちらにおいでなさい。いいこと教えますから。でも、まー、みんなもうとっくに知ってるかな。

 そうです、カッチンがいよいよニュー・アルバムをリリースすることになりました。タイトルは『LAST ROCKERS』。やっぱ、ブレイクでもデジタルでも基本はロックだっちゅーことッスよ。で、中身はラジオやなんかでいち早く聴いてもらえるんだけど、それでも、ここに告知します。

 ウチの代貸しの「男」を立ててやってつかーさいや。てなもんや三度笠です。
 

 Disoscillators MySpace


 ひとつ、よろしくです。

2008年12月11日木曜日

80年代の不透明な記憶


今でも活躍中?のイギリスのベテラン・ロッカー、イアン・アストベリー率いるTHE CULTの初期84年のステージ。元々はポジパンなんてジャンルでくくられてインディーズの人気者でしたが、後にアメリカのDEF JAMと契約して大きくはばたきました。


最初は誰だかまるで分からなかったんです。よ〜く見たら、アレレ、TELEVISIONのトム・ヴァーラインじゃないの!!シャツとか彼の趣味がよく出てます。


「二人のイエスタデイ」(原題「Since Yesterday」)の大ヒットでいきなり人気スターになったイギリスの女性デュエット。水玉が流行りました。


 まぁ、いろいろな思い出をこういうところとかでみなさんに紹介してますが、ハッキリと鮮明に覚えているものはごくわずか。実際には、細かいところはもちろん、全体像もおぼろげ、というものもたくさんあります。

 今回もそういう、ほとんど自分の記憶に残っていないものを写真で紹介します。

 てゆーか、これだけこの写真について記憶が曖昧だと、ひょっとすると自分の撮影したものではないのかもしれないです。仮に、これをご覧の方の中に、「あ〜、これはあの時の」というような覚えがある方がいたら、是非、コメントお願いしたいんですよ。STRAWBERRY SWITCHBLADEのは多分、普通にアーティスト写真か何かの類いだと思います。
 ほかのトム・ヴァーラインとかTHE CULTのイアンのとかは明らかにどこかのショウでのステージですね。ただ、これが同じ会場かどうかは不明です。裏書きには84年のロンドンというメモがありましたが、ぼくの書いた文字ではないみたいなんです。

 でも、写真的には貴重ですよね。

2008年12月9日火曜日

新宿で「ロックな同窓会」


ラフォレ前のツリー風なイルミネーション



自由が丘駅、女神像の広場のライトアップもなかなかです



 今夜は新宿のワイヤー近くの居酒屋で昔からのロック仲間たちとの忘年会みたいな会合に行って来ました。

 平均年齢52才くらいな、かつてのロック少年少女たちが年に2度くらい集まり世間話をしたりして、旧交を温めるということです。基本的にレコード会社関係、バンドのファンクラブ関係、あとは評論家や翻訳家とか。ソニーが主体で昔からあのへんと仲のいいMETALGODイトーちゃんがかなり熱心です。今日も多分まだカラオケでGSとか大声で歌ってるのかも。

 ぼくは明日も新宿なんで、名古屋もあったし、ラジオの収録もまだ残ってるんで体調管理のため二次会には行かずに帰宅です。しかし、みんな相変わらず音楽、特にあの当時の(70年代)のものにはいまだに熱い想いを抱いてます。ロック・ファンなら好きなバンドだけでなく、自分が好きなバンドが何を聴いていたのか?とかまでいかないとウソだろ、なんて話は序の口です。

 ホント、メカには弱いけど、ロックを愛する気持ちは人一倍強い、そんな連中ばかり。女性が多いのも、昔のファンクラブを偲ばせます。

 その帰り道にクリスマスなポイントがあったんで、思わずパチリ。気分はメリーメリーですよ。

2008年12月7日日曜日

名古屋ロンナイ


ホテルのロビーにキレイに飾りつけてあったクリスマス・ツリー。こういうのがあるだけで、雰囲気イイし、気分も自然とアゲアゲになります。


ぼくのDjはヒカルくんの後。彼がおもいっきりパンクでブットバすから、お客さんもややバテ気味。で、ぼくは今回はオープニングにOASISで曲は懐かし名曲「Don't Look Back In Anger」。歌ってる人もいたね。


いつも帰りはほとんど寝ないから、車中ではみんな静かです。ヒカルくんは軽くおやすみ、SHJとYossyはゲ−ム、ぼくとU-ichiは今日のお馬の予想会。残念ながらハズレましたけど。



 昨日6日土曜日、恒例の名古屋でのLONDON NITEに行って来ました。名古屋は相当前から遠征していたところで、その昔は、「OZ」という大きなツバキハウス・クラスのディスコで開催してました。元ブランキー・ジェット・シティーのベンジーこと浅井健一くんや中村達也くんとかも遊びに来ていたらしいです。もう、20年も昔のことですね。

 それ以後も、会場は変われど毎年のように名古屋には出かけていました。だから、名古屋はロンナイにとって「第二の故郷」とでも言うべき街なんです。

 ここのところは栄界隈のクラブJB'Sでやってます。ハコとしては広さも雰囲気もロンナにはうってつけなんです。きさくな感じで、フロアも100人以上は入るし、バーもキチンとしてます。移動しやすい造りですね。

 もっとも、そんな「歴史」のある名古屋ですが、ここのところ、ご多聞にもれずご時世というか、徐々にお客さんの数が減って来ています。理由はいろいろでしょうが、つまるところはいずこも同じ、若い人たちがクラブ遊びに消極的になり、さらに、洋楽を、それもロックを日常的に聴くということがメッキリ少なくなった、ということだと思われます。流行りから取り残されつつあるとも言えるけど、昔はあえて流行りから自分を距離を置く若者が多くいたのが、そういう人も減って来たということでしょう。残念ですよね。

 「青年よ 大志を抱け」とか「青年は荒野をめざす」という時代は遠い過去のことになったんですかね。社会に適合することに何の違和感も抱かないヤングなんて、単にトシが若いだけだと思うのはぼくだけですか?音楽はそういう意味で一番刺激的なヒントのひとつだと思うんだけど。

 来年も行くつもりですので、是非また会いましょう。今回来れなかった人は一度体験しに来てほしいです。

 Special Thanks HIDEO ITO & NAGOYA STAFF

2008年12月5日金曜日

今日の出来事

 今にして、初体験しました。

 今日、ウチのすぐ近くの大学(産業能率大学)で、知り合いにそこの先生を紹介されて、依頼されていた「講義」を行いました。

 もちろん、「ゲスト」扱いの特別講師ですが、それでも、一応「学校での授業」だからね。多少は緊張しました。でも、始めてみると意外とフツーに出来ちゃいました。授業のテーマは「クラブの現状」みたいなことを現場の担当者としていかに見るか、みたいなものでした。
でも、そんなことは出来ません。だから、「CROSSROADS」でやってるようなことをここでもやりました。


 もちろん、イベントに来るお客さんは一応、大貫の名前くらいは知っていて、音楽も好きで、という人が来るわけだけど、ここではそうないかない。一般の学生さんがお相手。ぼくのことを知ってる人がどれくらいいるのか?音楽に興味がある人、中でも洋楽に興味を持つ人がどれくらいいるのか、まるで分かりませんでした。授業だから仕方なくいる、という人もいるはずだし、まぁ、でも、そういう環境で何がやれるのか、という意味ではチャレンジです。


 で、自分としては、初めてにしてはまずまずだったと思います。案外以上に、ロンナイやぼくのことを知ってる人がいたし、逆に爆睡してる人はほとんどいませんでした。女子学生の方がメモを取ったり、おもいのほか熱心に話を聴いてくれていたような気がしたのは、ぼくが女子をメインに視線送っていたから?


 それはともかく、この経験を活かしてまたいろいろなことにチャレンジしていけたら、と思いました。必要とされているうちにやれることをやりますよ。今の大学生も決してダメダメなヤングばかりじゃないです。それは今の団塊オヤジがダメダメなヤツばかりじゃないことと同じですね。

2008年12月4日木曜日

年の瀬1

 もう一年も最終盤。12月と聞いてなんだか気ぜわしく思うようになったのはトシのせい?まぁ、しかし、この一年も、つまり、2008年もいろいろありました。今はまだルッキング・バックしている余裕はないけど、そう思うのは確か。

 今日、木曜日はラジオの収録の日で、隔週で「ロンナイ」と「ROCK YO TOWN」の録音がある。今週は「ロンナイ」の番。この時期はいわゆる「お正月進行」というヤツで、要するにお正月に放送局もスタジオもお休みになるんで、その分を溜め録りしておこうというものです。まぁ、恒例だからもういいかげん慣れてますが、それでも企画とか考えるのは楽しくもあり、面倒でもあり、ってとこです。

 今日は来週末から週明け、具体的に言うと12月13日〜15日放送分から年内最後の12月27日〜29日放送分まで収録します。だから、今からもう、「よいお年を」なんてコトバを用意しないといけないんですよね。内容は今はまだ言えないけど、クリスマスソング特集はキチンとやります。毎年やっていたリクエスト大会は今年は年明けに募集して来年の1月末ころにやれたら、と考えていますんで、ご協力ヨロシクです。

 「ロンナイ」は30分番組だからまとめて収録してもそんなに時間はかからないけど、これが2時間枠とかだと、もうスゴイことになります。イトーちゃんの番組なんか、想像しただけで「・・・・」です。ま、仕事があるだけでイイんでしょうけどネ。

 今年も渋谷くんの番組「ワールド・ロック・ナウ」の特番あるようです。彼とぼくとイトーちゃんの3人で。また、詳しいことわかったら報告します。

2008年11月30日日曜日

ギューちゃん久々に登場!

ひさびさに会ったんだけど、いつもオシャレつーか、カッコいいお兄さんなギューちゃんとウチのキレイなファミリー姉さんたちのYO-TOMO



  オルガン・バーのロンナイ・エクストラもなんとか無事に終わってホッとしたら、なんかアレレ、また風邪かよ?な今日です。背中がゾクゾクッて感じで、おまけにくしゃみも。こういう時には休養が一番なんだけど、なかなかそうもいかないっす。

 木曜には恒例の原宿SMOKEでTDF主催のパーティーでまたDJしました。女の子のDJがいて打ち込みモノでしたが、かわいらしくてポッとしてしまいました(笑)。しかも、お世辞でしょうけど、ぼくのDJの後ポツリと「好きな曲ばかりでした」だって!ウレピーね〜。
 その後に深夜まで渋谷FMでの「ROCK YO TOWN」収録。帰ってからもまた朝方まで仕事。

 あれこれあって肝心なのアップするの忘れてました。火曜日ワイヤーに電撃ネットワークのギューゾーことギューちゃんが来てくれたんです。まぁ、彼ともずいぶん長い付き合いになるけど、たま〜にこうして今でもフラッと顔を出してくれるんですよね。仲間は大切にしないと、です。ドクターがこの日でレギュラーのロンナイを「卒業」したので、そのお別れに来たのかもね。
 ドクターの卒業のコメントやDJセットなどは、また改めてサイトに公式に報告するとして、ドクターことイハラくんとも西麻布のピカソからだから、もう、かれこれ20年ですか。ギューちゃんなんかもその直後の新宿ミロスガレージからだったと思うから、やはり長いです。いろいろありましたよ、あの頃は。みんな若気の至りでネ。

 ギューちゃんはDJもいろいろやってます。ミッツィー申し訳や掟ポルシェたちと「申し訳ナイト」とか、自身の日本語ロックにマイク・パフォーマンス交えたパーティーとかね。ぼくもゲストで出たことあります。凄いエネルギーとサービス精神に感激させられました。これからも仲間でありつつ、よきライバルとしても交遊したい人のひとりです。

2008年11月29日土曜日

渋谷Organ-Barです

ここは路地の入り口付近。この右にハーレーショップのビルやライブハウスの「チェルシー・ホテル」がある。奥にはイエローポップとかかつてはCISCOなんてレコード屋もありましたね。ハンズのトイメンです。グーグルで分かるんじゃないかな。
ここがオルガン・バーの入り口。くれたけビルの3階。まぁ、かなり年季の入ったビルだけど、狭い階段を上がっていくとドアの向こうは案外アットホームでログハウス調のこじんまりとしたバーラウンジに暗いフロアの振り分け2K。100人はかなりムリです。


 ここんとこ、渋谷のクラブ「Organ-Bar」で立て続けにイベントをやりましたが、いずれも今までにないくらい盛況で来ていただいたみなさんには感謝感謝、です。

 26日水曜日には恒例、毎月第4水曜日の「トーク&音楽鑑賞会」的なこじんまりとしたサークル活動みたいなイベント「CROSSROADS」がありましたし、昨日28日金曜日はここで初めての「LONDON NITE」を行いました。どちらも、自分で言うのもナンですがかなりいい雰囲気だったとゴキゲンです。

 「CROSSROADS」は機材的な問題で予定していた「ゴールデン・カップス」の映像などが見られず、一部内容を変更してやりました。もっとも、予定は未定、であくまで目安なんでそのあたりのアバウトさはご理解いただいていると、勝手に思っています。DVDとかウチで録画したものが読み込めなかったりして見られない、ということはよくあるんですよね。
 カップスの代わり、ということでもないんですが、多めにやれたのがGRATEFUL DEADを中心とした60年代のサンフランシスコ界隈でのサイケデリックなムーブメントの様子だとかライブとか。ジミヘンのインタビューなんかもみなさん興味津々という感じで見いってました。

 平行して何枚かのアルバムから曲も聴いてもらいました。カップスのライブでの演奏(マディー・ウォータースの「Got My Mojo Workin'」とか)や、大ヒット・シングル「長い髪の少女」のB面の「This Bad Girl」など、彼ら本来の持ち味が存分に出たサウンドとプレイに、GSの隠れた新しい一面を垣間見たようでGS=オヤジの懐メロ、という単純なイメージがいかに不当かつ短絡的であるかを分かってもらえたら幸いです。

 「ロンナイ」のEXTRA開催に関してはまた改めて報告します。ただ、いつになくいろいろなお客さんでにぎわい、みんなから、また週末やってほしい、と言われました。もちろん、検討しますよ。チャーベくんの熱い思いには大貫嬉しかったです!!!

 写真は、「オルガンの場所がよく分からない」という方がまだ案外いるようなので、入り口やオルガンのある路地の入り口付近です。東急ハンズの横の通り、バイクのハーレーショップのビルの左方向の路地を入ってすぐ右側。狭い階段がすぐにあります。看板とか出てないので初めてだと確かに分かりにくいですかね。

2008年11月24日月曜日

青森ロンナイ御礼&速報


青森市街にあるホテルから。土曜の夕方なのに人気がないよ!みんな買い物とかどこですんの?


帰りの青森空港で。ヒカルと「高橋一郎、元気いっぱい!」(昔そういう選挙ポスターが原宿に貼ってあって大笑いしました)な一郎クン。


東北つながりでお隣の岩手から参戦した二人組、EL SKUNK DI YAWDIE。GRC、ワイヤーのロンナイにも出てくれました。DJ藤井サトルくんと同郷のお仲間。


 青森、そこはすでに真冬だっちゃ!!!!(いや、正しくは、だった)

 22日の土曜日午後、我々ロンナイ・クループラスゲストKEEの5人は羽田空港出発ロビーにいた。しかーし、そこにとんだハプニングが発生。予定の飛行機が機械のトラブルで急遽NGとなり、別の飛行機に乗り換えだって。今までこんなの経験ないよ。いい加減待たされてのこのアナウンスにあちこちからブーイング。「ざけんなよ!」とヒカルとSHJも吠える。1000円の「お食事券」を渡され、結局約2時間遅れで青森へテイクオフ。

 知ってはいたが、やっぱり実際に見ると東京住まいの我々には「ウソだろ!」と言わずにはいられない一面の雪景色。幸い、大雪は過ぎていたけど、地上気温2度。東京は14度もありました。ダウンパーカ持ってきてよかった〜。迎えにきてくれた「ツバキ時代」からの旧友で地元の名士「東北の眠れる虎」こと、一郎クンはこともなげに「雪?フツーフツー」だって。

 そして、いきなり夜になり(てゆーか、着いたのは午後4時前だけど、もう薄暗いんだよ現地は)、人気の無い大通りに面したリンガーハットみたいな店構えの会場SPACE4に、近郷各所から集った若者&元若者総勢200人くらいがロケンローをエンジョイ。でも、アレだよね、最近はどこも地元のDJ諸君と一緒にやるけど、昔は完全に「ロンナイ=パンク/ロカビリー」だったけど、この頃はDJもいろいろで、MURAJUNみたいなディスコ・クラシック系のハウス寄りな人も多い。それもアリ、です。

 今回はスペシャル・ゲストに岩手のロカでフォークでメスティソなデュオ、EL SKUNK DI YAWDIEが急遽参戦。ギターにカフォン(ミカン箱みたいな(SHJ談)立方体の打楽器、MURAJUNもEL SKUNKに影響されて(SHJ談)購入したとか)というシンプルながら、だからこそ技術とハートが勝負の境目ともいえる彼らのライブには、大きな拍手が送られました。ヒカルは最初ツマンなそーだったけど「サンテリア」のカバーで評価し直して、最後まで聴いてた。分かりやすい人です。

 てなわけで、あんまり長いと誰も読まないっすよ、というカッチンの意見に従い、今回はこのへんで。とにかく、スッゲーさみーところに大勢来ていただき感謝します。一郎クンやSPACE4の関係者ほかのスタッフにも大感謝。来年は、「やっぱ、冬はダメだわ。暖かい時期にしましょー」(一郎談)ということもあり、そのへんの時期にまたうかがいます。ありがとう!!

2008年11月21日金曜日

チョーお宝?

これが「お宝」。Sex PistolsのEMIの時のスタジオで制作されたいわゆる「ラッカー盤」。普通はすぐび破棄されます。


 いよいよ、出し惜しみしていたものを紹介します。

 まぁ、言ってもレコードなんですけどね。ただ、その「レコード」が普通ではほとんど見られないもので、つまり、普通一般には売られていないというか、売り物にはならないもの。

 レコードを発売する前の段階でのモノ。音質などをチェックするためにヴァイナルではなく、ラッカー素材で作られたものです。だから通常はチェックが済んだら壊して破棄するんですが、なぜか、ウチにあります。ロンドンにいた音楽関係の友人からもらったものです。

 コレがなんと!自分でも当時クリビツ(ビックリ)なSex Pistolsの「Anarchy In The U.K.」のモノで、よく見るとABBEY ROAD STUDIOのレーベルがあり、手書きで、曲名やバンド名がマジックかなんかで書かれている、というシロモノ。


 何回かこれも実際にクラブで使用したけど、さすがに使い減りするのでやめました。いかがですか?かなり「レア」ではあるでしょ?

2008年11月17日月曜日

お宝?プロモ7インチ

御大クリス・トーマスがプロデュースしたSex Pistols76年12月衝撃のデビュー・シングル「Anarchy In The U.K. c/w I Wanna Be Me」EMIRECORDS EMI 2566 普通にクラブで使用することもありますよ。みんなが「もったいないからやめた方がいい」ってアドバイスしてくれます。



 久しぶりにウチの数少ない音楽の「お宝」を。

 ご覧の通り、これはSEX PISTOLSのEMIでのデビュー・シングルとなった「Anarchy In The U.K.」のプロモーション用のもの。見れば分かりますよね。シールが貼ってあるから。
 これが「時価」いくらか、なんてことにはほとんど興味がないんですが、仕事柄こういうたぐいのモノは案外ウチに残ってたりします。ほとんどは海外で購入したり、友人からいただいたりしたものです。

 実はこれよりはるかに貴重なレコード?もあります。ピストルズ・マニアのYART先生にその昔、鑑定して?もらったら、彼もその現物を見たことがなかったとかで、相当な「お宝」だということでした。

 小出しにしてジラせてすんません。次回、それをここに紹介します。ホント、イヤらしいっすよね〜。自分でもそう思うもの。

2008年11月15日土曜日

PSYCHEDELIA

ALLMAN BROTHERS BAND AT FILMORE EAST '71
RICK GRIFFNは独自の硬質なタッチのドローイングで人気者に。これは68年2月の作品で、JIMI HENDRIX,JOHN MAYALL,ALBERT KINGの名前が見える。デッドのアルバム『AOXOMOXOA』(69年)のジャケも彼のデザイン。
初期のフィリモアの「専属デザイナー」のような存在といしてあらゆるポスター、フライヤーのデザインを手がけていたWES WILSON。次第に「サイケ」なアートに特化していきボスのビルに「なんて書いてあんだか読めないぞ」と言われ「ウン、だからイイんじゃない。みんな何が書いてあるのかジッと見るからさ」と答えた。




 サイケデリア。つまり、サイケデリックな世界、っていうような意味ですかね。

 今から40年以上も前、65年頃から70年にかけての数年間、サンフランシスコ界隈で大きな勢力を築いた文化的、思想的なある種の理想郷。その拠点になったのが今でもヒッピー観光地として名高いハイトアシュベリー地区で、多くの流れ者がそこにたどり着き、住み着いてハイになってました。
 そして、音楽的な拠点となっていたのが、フィルモア・オーディトリアム。体育館みたいな感じのコンサート・ホールで、そこの主催者がビル・グラハム。彼についてはいろいろな本も出てますから、そちらで(あるいはネットなどでも)じかに見てもらうとして、ここで紹介したいのは、周辺環境というか、フィルモアのコンサートのために作られたポスターやステージにおけるライトショウ。

 このふたつぬものがサイケの世界的浸透に果たした役割はバンドと同等かそれ以上。

 ポスターは視覚的にあたかもサイケのシンボルのように見られたし、ライトショウも単なるステージの演出効果以上のサムシングを人々にもたらした。つまり、イメージ。PILじゃないけど、一般的なモノの見方というのは個人の主体的な判断を前提にするのではなく、メディアによる情報の露出の程度という、きわめて漠然とした印象度の濃淡にある、とぼくは思っている。
 いや、ぼくは社会心理学者でも文化人類学者でもない。ただのこの社会の一員。であるからこそ、実体験者としてハダでそう感じる。

 サイケの、つまりサイケデリックな世界観みたいなものは、これらの古いポスターやライトショウなどのイメージによって、多くの人々の意識の中に埋め込まれ、それは今でも息づいているように思える。

 でも、本当に素晴らしいアート、作品じゃないでしょうか。昔のお宝、なんかではすまされない意識のようなものがあり、それが今もぼくらに何かをささやいているような感じです。

2008年11月13日木曜日

さっきまで新宿MARSでサポートDJ

フランスからのパンク・バンドHOGWASHが今夜の主人公。とても気持ちのいいお兄さんたちでした。
この怪しげに動く影がSATOLUさん。てゆーか、、暗いんだから動くなっつーの。ブレブレじゃん!
演奏もスゴいんだけど、MCもかなりの勢いでした。フランスから来ても普通に英語で呼びかけてました。ときどき、日本語も。


 
 知り合い、というより仲間、いや、子分?の藤井悟くんからのお誘いで、今日、新宿の歌舞伎町にあるライブハウス「MARS」で、ライブ・イベントの合間のサポートでDJして来ました。

 メインのバンドはフランスのパンク・バンドHOGWASHで、ほかに日本のパンクなバンドもいくつか出ていました。ぼくはパンク/ハードコア方面に疎くて、HOGWASH以外の日本のバンドはまるで知らなかったんですが、みんな元気はいっぱいでしたよ。話もしたりで、思わぬ出会い、にもなりました。

 お客さんも元気で、DJの時も数人ですが踊ってくれてました。普通、こういうイベントじゃDJタイムは休憩タイムなんだけどね。

外国の人も数人いたりで、さすがフランスからのパンク!と思ったけど、なんだか知り合いみたいでもありました。まぁ、でも、ぼくのDJを気に入ってくれて握手まで求められて、少し嬉しかったかも。HOGWASHはCDで聴いていたよりも断然ハードで、でも、いわゆるハードコア本流というのとも微妙に音が違い、音楽的な多様さを感じました。ちなみに、オープニングの入場曲はクィーンの「Flash Gordon」だったのにはちょっとビックリ。クィーン好きなのかな?

 海外でもDJ一度はやってみたいな、とさらに強く思った夜でした。

2008年11月10日月曜日

群馬でLONDON NITE

LEVEL5前に集まり「ロンナイ」を迎えてくれたお客さんたち。LONDONだからユニオン・ジャックなんですよね。サンキューベリマッチ!
歌いつつ踊りつつDJしちゃうオーヌキですが、この時はさらに「瞑想」までしてました!いや〜、自分でもオドロキーーです。
まるでアメリカンな軍人みたいなムードの今夜のYOSSY。こういう格好させるとKatchin'とこの人とかはハマるよ。サー!
SHJの選曲はまさに「ロンナイ」のスピリットそのもの。日本語ロックからロカビリー、レゲエにジャズものまでさまざま。ワルい気配もイイ味付け
U-ICHIがぼくの後にも2回目のDJを。メロコアDJ登場に会場は沸きました。



 8日の土曜日、予定通り群馬は桐生のクラブLEVEL5で「LONDON NITE」をやってきました。ハコは150人くらいのキャパで、そこにほぼ満杯のお客さんが遊びに来てくれてました。まずは、感謝。

 メンツはぼく、SHJ,YOSSY,U-ICHIそしてゲストとして元ロンナイDJだったKatchin'。このハコには彼は地元ということで、何回かやってます。そういえば、同じくジモティのKEEも遊びにきてくれました。彼も最近役者としてより一層気合い入れて頑張ると、かなり張り切ってます。それと、再来週の22日土曜日に、青森のロンナイにゲストDJとして一緒に行くから、その雰囲気とか含めイメトレとかもかねていたのかもね。

 クルマで夜とばせば、2時間くらいで着いちゃうんで、しかも、そのままトンボ帰り出来るから気軽なんですよね。桐生に着いたらデカい建物がドーンと暗闇に浮かび上がって、ちょいとビックリ。何でも近々オープンするショッピングモールらしく、北関東最大の規模とか。でも、正直、あんな場所にそんなに買い物客が来るんだろうかといささか心配(余計なお世話だけどね)。

 会場のクラブにぼくが着いたのは深夜1時頃。寝静まった桐生の通りにポツンと灯りが見えて、若者たちがその前に集まってました。そこがLEVEL5。すぐに中に入り、スタッフらに挨拶しウチのDJたちとも会い、さっそくDJブースの下見がてらちょうどDJ中のKatchin'にひとこと挨拶。かなりなテンションで今度出るCDの曲をガンガン流し、大きな声で告知活動も。あんまりそれがクドいので「広報活動もホドホドにな」と言うと「何言ってんすか、コレはお客サービスのいわば先行の試聴会じゃないすか」だって・・・。相変わらずデシタ。

 それにしても、多くの人たちとじかに話が出来るこういう地方のイベントはイイですよね。おかげで、現地のスタッフから紹介された「昔からのロンナイ・ファン」という人たちとも親しくなり、来年にでもその彼らと一緒にイベントやろう、なんて話もしました。実現出来るように頑張らないとね。

 ぼくらのDJタイムは11時から3時前くらいまでで、前後は地元のイベントのDJにおかませ。U2の「Sunday Bloody Sunday」とかかけていて、実に懐かしい感じ、というか昔のツバキの頃のロンナイを思い出しました。最近、そのへんの曲、あんまりかけてないですから、なんだか、改めて初心に帰ったみたいな気にさせてくれたんですよね。JIM CARROLL BANDの「People Who Died」やVIBRATORSの「Amphetamine Blue」、DAISY CHAINSAWの「Love Your Money」なんかはタマ〜にかけるんだけど。

 まー、そういうわけで無事に桐生も終わり、この後の地方ツアーは青森と来月の名古屋だけ。風邪とかひかないよう気をつけて頑張ります。

2008年11月6日木曜日

すでに「懐かしい」記憶だね〜

なんと言えばいいのか・・・・。いや、ヤル時はヤル、それは遊びも仕事も同じなんです。な?!レオナ&ツネ&ミー
今も昔もこの道一筋。ロック馬鹿一代!。


 PCを換えたりしていろいろその中身を移動したりで、まだ、新しいPCに慣れていないんだけど、自分でも驚くようなモノがゾクゾクと出て来て・・・。ですから、まぁ、みなさんにも少しだけ「懐かしい」ものをご覧いただこうかな、と。

 自分のはいいとして、もう1枚のは友人とはいえ、他人様の画像ですからちょっぴり躊躇しましたが、ま、イイかッてことで出します。

 これ、多分、4年くらい前(5年かな?)の「RISING SUN ROCK FES」にLONDON NITEが参加した時のものです。その時に居合わせたヤツラを捕まえて激写しました!!レオナくんとはもうずいぶん会ってないんですよね〜。ツネとは会ってはいないんですが、連絡はたま〜にとってます。

 こういうのもアリな「ロンナイ」です。オバカなロケンロール天国。間違いない。

2008年11月2日日曜日

昼間の青山界隈を







 仕事の打合せで、赤坂のビズ・タワーに入っているEMI MUSICまで出かけました。EMIはついこないだまで「東芝EMI」として赤坂でも、溜池の交差点そばの場所にありましたが、その東芝が撤退したためビルも土地も売却して、現在のビルに移転したわけです。

 個人的に、あの溜池時代の東芝EMIには大きな思い出があり、それがなくなると聞いた時にはちょっとショックを受けたものです。なにしろ、自分が初めて「音楽評論家」として活動をスタートしたのがそこで、最初に会ったレコード会社の人が当時そこで洋楽ディレクイターとして第一線でバリバリ働いていた石坂敬一さんでした。今はユニバーサルのCEOです。

 帰る時に渋谷までタクシーを使ったんですが、昼間こういうところを通ることが最近はなかったので、ある意味「浦島太郎状態」で青山墓地から骨董通りを経て青山通りに抜ける道を窓越しにボンヤリ眺めていました。
 いや〜、今さらですが、この周辺はホントにこじゃれた街なみです。何度も通ってるんですがほとんど夜中で、景色はネオンで染まった街なみだから、同じ場所とは思えないんですよね。そんで、思わずタクシーの窓を開けてパチリ。観光客かよ?いや、オノボリさんです。
でも、たまにこうして昼間の都会をブラついて(っても、タクってますけど)みるのも自分にはいい刺激です。
 ちなみに、ビズ・タワー前で村上ショージとすれ違いました。

2008年10月31日金曜日

原宿SMOKEで


会場のSMOKEはCHANELのあるビルの4階。かなりなゴージャス感ですが、あんがいリラクシンなお店です。雰囲気作りにもいい感じのキャンドルがたくさん。シャンパンとのマッチングもグー!なんてね。
 若手のUKなDJ Kozyくん。彼のお父さんがツバキの頃のお客さんでした。カメラマンの方でね。



 昨日はいつもの渋谷FMの「ROCK YO TOWN」の収録前にひとつ仕事がありました。

 実は、というほどでもないけど、半年くらい続いているパーティーでのDJ。会場は原宿は表参道に面したビルの4階にあるレストラン・バー「SMOKE」。このビル、向かいにある表参道ヒルズに負けじとばかりなゴージャスぶりで、シャネルやカルティエなどの高級ブランドが入ってます。ひとめ、CHANELのデカい文字ですぐに分かるはず。

 そこで毎月一度月末の木曜夜、「LAST THURSDAY」と題してパーティーが行われてるんですが、そこでDJをやらせてもらってるんです。まぁ、気軽なラウンジ・パーティーっという感じですね。ドリンクとスナックと映像と音楽。いろんな人がいるんで、普段の自分のイベントとかでは出会わないような人たちが多いので、それもここでDJをやっている理由のひとつかも。

 ツバキハウス時代の「ロンナイ」のお客だった、という方や、「ミロスに行ってました」という方など、あんまり今のクラブには行かないという感じの人たちがいたりして、「旧交」を温めたり。

 店の雰囲気は全体にウォームな感覚で過度にオシャレすぎないので、ビルの外観のイメージよりは気軽でいやすい感じですね。次回はいつなのかまだ未定ですが、決まったら今度はお知らせします。