ALLMAN BROTHERS BAND AT FILMORE EAST '71
RICK GRIFFNは独自の硬質なタッチのドローイングで人気者に。これは68年2月の作品で、JIMI HENDRIX,JOHN MAYALL,ALBERT KINGの名前が見える。デッドのアルバム『AOXOMOXOA』(69年)のジャケも彼のデザイン。
初期のフィリモアの「専属デザイナー」のような存在といしてあらゆるポスター、フライヤーのデザインを手がけていたWES WILSON。次第に「サイケ」なアートに特化していきボスのビルに「なんて書いてあんだか読めないぞ」と言われ「ウン、だからイイんじゃない。みんな何が書いてあるのかジッと見るからさ」と答えた。
サイケデリア。つまり、サイケデリックな世界、っていうような意味ですかね。
今から40年以上も前、65年頃から70年にかけての数年間、サンフランシスコ界隈で大きな勢力を築いた文化的、思想的なある種の理想郷。その拠点になったのが今でもヒッピー観光地として名高いハイトアシュベリー地区で、多くの流れ者がそこにたどり着き、住み着いてハイになってました。
そして、音楽的な拠点となっていたのが、フィルモア・オーディトリアム。体育館みたいな感じのコンサート・ホールで、そこの主催者がビル・グラハム。彼についてはいろいろな本も出てますから、そちらで(あるいはネットなどでも)じかに見てもらうとして、ここで紹介したいのは、周辺環境というか、フィルモアのコンサートのために作られたポスターやステージにおけるライトショウ。
このふたつぬものがサイケの世界的浸透に果たした役割はバンドと同等かそれ以上。
ポスターは視覚的にあたかもサイケのシンボルのように見られたし、ライトショウも単なるステージの演出効果以上のサムシングを人々にもたらした。つまり、イメージ。PILじゃないけど、一般的なモノの見方というのは個人の主体的な判断を前提にするのではなく、メディアによる情報の露出の程度という、きわめて漠然とした印象度の濃淡にある、とぼくは思っている。
いや、ぼくは社会心理学者でも文化人類学者でもない。ただのこの社会の一員。であるからこそ、実体験者としてハダでそう感じる。
サイケの、つまりサイケデリックな世界観みたいなものは、これらの古いポスターやライトショウなどのイメージによって、多くの人々の意識の中に埋め込まれ、それは今でも息づいているように思える。
でも、本当に素晴らしいアート、作品じゃないでしょうか。昔のお宝、なんかではすまされない意識のようなものがあり、それが今もぼくらに何かをささやいているような感じです。
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