2009年9月29日火曜日

新しい雑誌の仕事とかDJ」とか






 

 知り合いの編集者の人が、今度、新しい音楽雑誌の刊行に向けて励んでいるんです。


 元々は確かミュージック・マガジンの編集部にいたはずなんだけど、今度のはシンコー・ミュージックから出すようです。雑誌、それも音楽関係の本は軒並み厳しいようで、そんな時期によく新しい雑誌が出せるもんだと、かなりビックリ。その本のことはいずれまた機会が来たらキチンとお話しようかと思うけど、そこで仕事の依頼があったんですよね。


 アンケートみたいなもので、そのテーマは「この50年でもっとも影響力のあると思うアーティストを3組選んで、その理由を書いて」というもの。何をどう書いたかのかは、ここでは書けないけど、実に難解なテーマです。個人的に、が原則とはいえ、ただ、好きなバンドとかを選ぶというのでは、いかにも説得力に欠けるし、また、好きでもないものを選ぶというのも嘘くさい。



 それにしても、みなさんの胸の内にもそういうモノってありますよね?『ロック史上、一番偉大なバンドは何か?」とかって、ロック・ファンなら一度は考えたことくらいあるんじゃないかな。ロバート・ジョンソンからランシドまで、人によりそういう想いはさまざまなんだろうな〜。


 ところで、今度の金曜日からまた懲りずに新しいパーティーを始めるんですが、それはHPに出てますから、そちらで確認して欲しいんですが、タイトルが凄い。「昭和洋楽パラダイス」ですよ。乃木坂の通称「星条旗通り」に面しているバー・クラブ「SONORA」のボスのマサミンから声をかけられ、このご時世、お客が来るかなんて保証はないけど、やるだけやろう、ってな気楽な感じで、彼のツテでDJを集めてやります。
 何よりその気になったのは、「ロンナイっぽい選曲はしなくていい、ってこと。だって、大貫憲章がDJっていうと、ほとんど「ロンナイ」風、パンク&ロックンロールなものを期待されちゃうんだもの。それもイヤじゃないけど、それって「ロンナイ」でやればいいんで、他では違うのやらせてもらいたいですよ。


 例えば月に一度、最終木曜日に原宿のレストラン・バー『SMOKE』で開催される「Last Thursday」はtokyo design flowというところの人たちがオーガナイズしてるんだけど、そこで出してるフリー・ペーパーにもあるように、彼らの思考は音楽にとどまらず、政治、社会、文化、産業、生活などのあらゆる人間の所業を検証しているみたいで、このパーティーもその一環にすぎないみたいです。
 この試みの原点にあるのは、家具のIDEEのボスの黒崎さんの奔放かつアカデミックな考え方で、ぼくは黒崎さんのそういう生き方の機軸みたいなものに共感して参加しているってとこですかね。


 ホントに還暦過ぎてもヤンチャな若者という感覚で、行動力の凄さにいつも圧倒されてます。こないだの「CROSSROADS」にもわざわざ来てくれて、メールで「良かった」と感想まで書いてくれました。エラい人はなかなかそういうことしないですから。自分なら行かないだろーなー、なんて思ったりして。


 そこであの「SMOKE」でかけた曲の一部をここに写真でザ〜っと紹介します。すんごいバラバラの選曲みたいに思うかもしれませんが、ぼくには、これでひとつの線と点でつながったモノなんですよね。自分の意識下の問題ですけど。そこだけは、「ロンナイ」でも「GRC」でもほかのどこでも同じです。あからさまに分かることはないけど、何となく分かる人には分かる、ってな感覚。


 キーはボウイです。それも「Starman」。この曲の感覚があの夜のDJの気分をおおむね支配していたんです。分かりづらくてすいません。でも、ぼくのDJってそういうモンです。意識のシナプスがやるうちにドンドン増殖して勝手に曲を選んじゃうんです。踊れるとか踊れないとか、そういう時は関係ないんですね。曲に聞いてください、って言いたい感じです。だからいつも面白いDJが出来るとは限らないんで。そこがプロとしてはツラいところでもあります。

 長々とありがとうございました。

2009年9月26日土曜日

Don't Look Back/BOB DYLAN

 こないだのCROSSROADSのテーマは、毎度おなじみの60年代でしたが、基本的には今盛んに話題になっている例のビートルズのリマスター盤BOX SETが日本国内だけのセールスですでに200万枚に届こうか、という記録的なものになっているのを受けてのことでした。


 それはそれで凄いことだと素直に思うんです。さすが、ビートルズ!と。いくらマイケル・ジャケソンでもマドンナでもセリーヌ・ディオンでもエルヴィスでさえ、こんなことは起こらないと断言出来ます。それくらい、ビートルズ、FAB4はグレ〜〜〜〜イトでモンスターなんです。

 
 とはいえ、じゃあ、あの頃この日本を含む世界中でビートルズの嵐が吹き荒れていた中で、みんながみんな、ビートルズに熱狂していたか、といえば、そんことはまるでありませんでした。このへんのことを、雑誌とかマスコミはあんまり触れません。あたかも、日本中がビートルズ・フィーバーにうなされていたかのような論調です。でも、少なくともぼくの周りでは、ビートルズの話題で盛り上がれる友人はクラスに2〜3人でした。ほとんどのクラスメートは無関心、でした。


 そういう事実も踏まえて、あの頃の60's Beat Popを改めて今一度ほかのアーティストもまじえて考えてみよう、という思いでやりました。


 ところが、いざ始めてみたら、なんと一番時間がかかり、熱気をこめて話をしたのはビートルズでもストーンズでもなく、ボブ・ディランでした。ディランに関しては以前にも何度かやりましたが、今回は、65年のイギリス・ツアーの模様をおさめた「DON'T LOOK BACK」の映像を見ながら、改めて気付いたことなどを話してあっと言う間に時間が過ぎてしまったんです。
 でも、ディランはあの頃、アイドル並みの人気スターで、それに対する彼自身の葛藤やフラストレーションが引き金になり、あらゆる場面で、あらゆるものに噛み付いていたことが画面からにじみ出ています。まさに「パンク」でした。


 ということで、みなさんにもチャンスがあればこの映像をキチンと見て欲しくて紹介します。国内版は以下のような概要です。
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メーカー/レーベルより
映画公開40周年の今年、ボブ・ディラン66歳の誕生日
新作DVD「ツアー65再訪(65 Revisited)」を含む
ファン待望のデラックス・エディション登場!
ROLLING STONE誌が選ぶロック映画オールタイムベスト10入選

◆目玉はディスク2のアウトテイク集「65 Revisited(ツアー65再訪)」。本編の演奏シーンは細切れだが、こちらはフルコーラズ収録!
◆ディスク1の日本版も2000年のUS版発売に遅れること7年。副音声は初の日本語字幕付加バージョン!
◆160pに及ぶブックレット+パラパラ写真冊子+デジパックをハコに詰め込んだ豪華ボックス
◆ブックレットは全台本と200枚に及ぶ写真を掲載したペーパーバック。'68年に書籍として発売されたが、現在は廃刊となっている貴重なアイテム。日本版では全翻訳をした冊子を添付。
◆歌詞の対訳を日本語字幕として表示する「うた字幕」を付加。ノーベル平和賞候補とも言われるディラン歌詞の世界を表情とともに堪能できる意味合いは重要!

●DISC1 本編DVD 「ドント・ルック・バック(DONT LOOK BACK)」
67年作品、ドキュメンタリー / 収録場所:65年4月~5月 UK
[内容]
65年のボブ・ディラン英国ツアーの模様を追いかけた映像をメインとしたドキュメンタリーフィルム。PVのはしりとも言われる「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の歌詞カードをめくる映像、フォークの女王ジョーン・バエズが同行するも、その関係を終わらそうとするディラン、ドノヴァンとの交流、取材記者を徹底的にやり込めるディランなど…名シーン満載の貴重な67年公開作品。なによりも、まだ23才のディランはピリピリとしていて、カリスマ性にあふれており、あまりにカッコいい! このフィルムはパティ・スミスをはじめとして後に大物になる多くのアーティスト達に多大な影響与え、その後の音楽シーンへの影響は計り知れないものがある。
副音声では監督自らが登場人物の解説や、ディランの素顔など貴重な事実を次々と語るなどこちらもまたエキサイティングな内容。もちろん副音声にも日本語字幕付き。

[収録曲]
サブタレニアン・ホームシック・ブルース / マギーズ・ファーム / 時代は変る / ラモーナに / ハッティ・キャロルの寂しい死 / ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォ-・レタ-・ワ-ド / 失われた道しるべ / くよくよするなよ / イッツ・オールライト・マ
等22曲

[本編出演]
ボブ・ディラン - 若干23歳 / アルバート・グロスマン - マネージャー / ボブ・ニューワース - ツアー・マネージャー / ジョーン・バエズ / アラン・プライス / ドノヴァン / アレン・ギンズバーグ

[副音声(1999年9月収録)]
ペネベイカー監督 / ボブ・ニューワース(ツアー・マネージャー)
副音声ではディランの素顔、映画制作にまつわる貴重な証言、ちらっと登場する人物の紹介等をしており、通常の映画と違い語られる内容はかなり重要! 2000年に発売されたUS版にも同じ副音声は入っていたが日本版が未発売であるため未だに副音声の内容は広く伝わっていない。

[ボーナストラック 未発表音源 静止画+音声]
ラモーナに(65年4月UKシェフィールド録音) / ハッティ・キャロルの寂しい死(65年5月UKロイヤルアルバート・ホール録音) / ラヴ・マイナス・ゼロ(65年5月UKニューキャッスル録音) イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー(65年5月UKロイヤルアルバート・ホール録音)) / 悲しきベイブ(65年5月UKロイヤルアルバート・ホール録音)

[うた字幕]
歌詞の日本語対訳を字幕として表示する機能。表情と歌詞内容を同時に堪能できる重要な要素。

●DISC2 特典ディスク65 Revisited(ツアー65再訪)
ペネベイカー監督自ら新たに製作をした65分に及ぶ同映画のアウトテイク集。20時間に及ぶ撮影素材から厳選して、本編に収録されていない部分を編集。ディランのツアーや、ホテルでの弾き語り、ジョーン・バエズの独唱など計15曲(約40分)の演奏シーンを含む新しい映像作品となっている。
DISC1ではあくまで映画のコンセプトや意図がぼやけるのを防ぐために演奏シーンが細切れであったのに対し、DISC2では「ラモーナに」「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」「イッツ・オルーライト・マ」などが1曲丸ごと収録されている。またジョーン・バエズとの仲むつまじいシーンやファンに対してじっくりと接しているシーンなど、DISC1では「冷たい男」として描かれているディランの柔和な面が見られるのも興味深い。また作曲のシーンで「Everybody Knows But You」という、未発表の曲をピアノで演奏しているシーンもあり、はじめて公開される楽曲という意味でもかなり貴重!

[副音声]
ペネベイカー監督 / ボブ・ニューワース(ツアー・マネージャー)
収録機材の秘密や、音声収録の工夫などをたっぷり語っている。この映画はモノクロであったことでマーケティング的に広くロードショーされる事が難しかったという事情があるが、なぜあえてこの映画をモノクロで撮影したのかなどの秘話が明かされる。この作品がどうして音楽ドキュメンタリー映画の先駆けになりえたのかが克明に語られているため、映画ファンにとっても非常に有用な証言が満載である。

[収録曲]
くよくよするなよ / ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット / ラモーナに / イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー / 悲しみは果てしなく / ハッティ・キャロルの寂しい死 / イッツ・オールライト・マ / 時代は変る
等15曲

●ペーパーバック&日本語訳冊子
200点に及ぶ写真とともに、映画本編の全セリフを掲載した160ページに及ぶ、これまた貴重なアイテム。68年にペーパーバックとして発売されたが既に廃刊となっており、この機会に復刻! 日本版では、この翻訳を別冊子として付加。字幕の日本語訳は文字数の制限があるため、実はかなり要約、意訳されているのに対し、日本語冊子では全訳を掲載。すごい勢いでまくし立てるディランの言葉を全てを理解するにはこの冊子が必須となる。翻訳はディランの元担当ディレクターであり、日本屈指のディラン研究家でもある菅野ヘッケル氏。
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 ここではその一部をYOU TUBEから。イギリスのディランと言われた頃のドノバンがいて微妙な空気感が面白いんですよね。





 


 

2009年9月25日金曜日

JONIOのバースディーで






 古いつき合いのひとり、UCの高橋ジュンこと、JONIOくんの誕生会がこないだの火曜日にありました。

 本当に長いつき合いになりました。かれこれ、22年くらいですかね。初めて会ったのは、彼がまだ文化服装の学生の頃でしたから。ヒカルくんの後輩ということで、ジョニー・ロットンに瓜二つだというんで、その頃レギュラーでやっていた西麻布のクラブ「ピカソ」に連れて来てもらったのが、ぼくが覚えている最初の出会い。


 実際、ジョニーによく似てました。そんな服装だったしね。そこからTOKYO SEX PISTOLSの結成に至るんですけど。2代目の。初代はぼくがやっていたんです。


 あの頃は、文化の学生が多数遊びに来ていて、音楽とファッションの両方に関心があり、好奇心のおう盛な連中がたくさんいたんですね。だから、年齢なんか関係なくクラブに来たし、そこから仲間が増えていったりしました。次の日、ちゃんとフツーに学校あるんだけど、朝までみんな遊んでました。5時頃までクラブにいて、その後ぼくがDJ終わるとみんなでファミレスにご飯食べに行ったりとか。
 それでも、ジュンとかヒカルとかショージでさえ、ちゃんと学校に行ってました。寝ないでね。大変だったみたいですが、それが今の彼らがある、大元でもあるのかもです。あの頃の仲間たちは今でも何かあると集まりますものね。


 フミヤくんやトシミくん、ここには写ってないけどムラジュンやシュンスケ(松岡)や一ノ瀬や、とにかく「ロンナイ」周り、文化周りの仲間たちは今でもご覧の通りです。
 
 近田くんはぼくと同い年で、実家が近所でした。彼とはハタチ頃からのつき合いだから、もう38年とか?音楽評論家になる以前か、なりたての頃からです。高木完ちゃんとは、ぼくが西麻布のトミーズでDJ始めた頃からで、彼がお茶の水の「文化学院」にいた頃だから30年くらいになります。


 そんな思い出がパーっと思い浮かぶこの日の集まりでした。

2009年9月23日水曜日

今日は今からCROSSROADS

 もうすぐウチを出ますが、今夜は恒例のロック鑑賞会の「CROSSROADS」です。

 テーマはHPにあるように、またもや個人的に一番思い入れもある、60's Beat Popとかです。今世間でCD再発で話題のビートルズからストーンズやらそのへんいろいろ、いただいた「ロック映像年鑑」とかを使用しつつ、音楽話で過ごしたいと。

 9時半から(予定)だいたい11時過ぎまでです。お代は1000円。今ヒマで死にそう〜〜って方はお散歩がてらに渋谷に来てくださいませ。オルガン・バーはこないだ「ロンナイやったクラブです。

 ちなみに、KINKSのこんな映像も多分やります。曲は地味目だけどナイスなレイ・デイヴィスの個性がにじみ出た「Set Me Free」。


2009年9月20日日曜日

10月からまた新しいパーチーを






 いろいろお知らせばかりで、営業も担当しなきゃなんないぼくとしてはフクザツなんですが。


 10月2日の金曜日に、西麻布というか、ミッドタウンそば、というか、龍土町というか、そのへんに位置するSONORAにて、新しいパーチーを立ち上げることになりました。まぁ、でも、これってイベントというより実際気軽なロックの夜、的なモンで、気持ちはパーティーなんです。


 そこで、フライヤー用に集めた資料がここにバラバラっと出ている写真の数々。これをネタにソノラの御大マサミンがフライヤーを作っています。もうじき完成するんで、そしたらキチンとHPにも載せますので、よろしくです。


 このバラバラな「資料」をみなさんどう見るか?てなとこですが、気分としてこんな感じでDJしてみよう、という素材なんですね。


 洋楽好きなみなさんに、憩いのひとときを、というのが一番の主旨です。ですから、クラブとも違うし、飲み屋とも違うし、ロック喫茶とも違う、で、その全部でもある、という感じですかね。やってみないとボクらにもわかんないんです。パンクからプログレまで、とにかく洋楽それも50年代から80年代あたりのモノをメインに流してみようかと考えています。飲んで歌うのもあり、ですたまには、ささやかなライブとかもネ。


 先々のことは分かりませんが、やってみよう、というところです。ご期待くださいませ。

2009年9月17日木曜日

IGGY POP IS THE MAN!

 ビートルズの日本盤が発売から1週間で180万枚を記録したそうです。

 もう、凄いどころか、脅威ですね。でも、彼らがモンスターなのは承知の上で、逆に考えれば、CDが売れない、という今の状況でさえ潜在的な購買層はこの日本にはまだある、とも考えられます。キチンとした環境の整備とかいろいろな企業努力をメーカーはじめ送り手の我々みんなが地道に頑張れば、180万はムリでもその10分の1くらいのヒットは不可能ではないと思うんですが、いかがでしょうか?


 閑話休題。


 最近、イギーに魅了されてます。今さらなんで?自分でも分かりませんが、まぁやっぱりカッコいいんですよね。ロケンローの鉄人で、永遠の少年みたいなところが。


 古い映像がありました。『TV Eye」と「I Feel Alright」やってます。




 

2009年9月12日土曜日

The Doobie Brothes 来日でSHM-CD発売


記念すべきデビュー・アルバム。でも、まるで無視され、チャートはおろか、日本で発売もされなかったし、本国でもカスリもぜせず、「
まれに見る不幸なデビュー作」などと評されています。71年。


これが「事実上」のデビュー作となったセカンド。72年。確かにサウンドも曲調もガラリと変わり、ヒット曲も生まれた。


お馴染み「ロング・トレイン・ランニング」の大ヒットで有名な3枚目。でも、一番売れたアルバムは、メンバーも変わり音楽も変わった
78年の『Minute By Minute」でした。彼らにとって初めての1位でした。ぼくには興味なかったですけどね。



 今や世間的には音楽の話題としてはビートルズ一色という感じです。確かに、今回の企画はいろいろな意味において実に重要で注目に値するものだとは思います。

 かく言うぼくも興味津々なんですが、まだ聴いてません。てゆーか、購入していないんです。ビートルズとベンチャーズで育った自分としては、こんなこっちゃイカンのですけどね。

 まぁ、ビートルズの話はここではおいといて、今回のテーマはもうじき来日もある、アメリカン・ロックの大ベテラン、70年代から80年代にかけて、特に人気を集めたThe Doobie Brothers。その彼らの過去の音源が、SHMという高品質のリマスターでまとめて発売されました。まぁ、「来日記念盤」という体裁ですが。
 ぼくが彼らのことを初めて知ったのは、もちろん、デビューした71年当時で、しかし、その頃はほとんどイギリスのロックばかり聴いていたので、ほとんど関心も何もなかったんですけど。だから、デビュー作の『THE DOOBIE BROTHERS』は、出ている、というくらいの認識でほぼパス、でした。実際ヒットもしていなかったし。

 その後、すぐに2枚目の『トゥールーズ・ストリート』が出て、そこからは「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」がシングル・ヒットして、ちょっぴり気になりました。加えて、ライブで大人気の「希望の炎」、原題「Jesus Is Just Alright」なんかも勇壮でどこかセイクリッドな感じがして、よく聴きました。オリジナルがゴスペルなんで当然ですが、みんなで歌うにはピッタリな曲です。

 先にも触れましたが、当時、アメリカン・ロックにはまるで疎くて興味もたいしてなかったんですが、音楽雑誌やぼくの周りの音楽仲間たちが話題にして「バーバンク・サウンドの旗手」みたいな言われ方をされていたので、ソレってナニ?という、野次馬的な好奇心がそそられたわけです。

 やがて3枚目のアルバムとして『THE CAPTAIN AND ME』が発売になり、それがいきなりのベストセラーとなり、一気にスター街道を突き進むことになるんですが、さすがに、そこまで来るとぼくも無視出来なくなり、アルバムをちゃんと聴いたりしました。そして、シングルでヒットした「ロング・トレイン・ランニング」や「チャイナ・グローブ」などには普通に「いい曲だなぁ」と思ったりしました。
 今でも「ロング~」はロック・クラシックの名曲として、またグルーヴィーなロックの代表としてフロアでも人気のナンバーで、ぼくもよくプレイします。

 そういえば、あれはいつだったか、77年かその頃だと思うんだけど、イギリスの野外フェスの老舗「レディング・フェス」に出かけた時に、ドゥービーも出ていて、彼らのステージを偶然見ることになりました。どんなショウだったか、よくは覚えてないけど、ジェフ・スカンク・バクスターが椅子に座ってギターを弾いていたのだけは、今でも鮮明に記憶しています。日本でも多分初来日の時(76年1月)に見てるはずですが、コレはまるで覚えてないんですよね。人間の記憶なんていい加減なもんだと、今さらながら思うこのリマスター・シリーズでした。


2009年9月11日金曜日

ロック映像年鑑いただきました!


この2本が宅配便で送られてきました。心当たりのある方、是非ひとこと御礼を言いたいのでコメントしていただけますか?



 ここにも書かせてもらいます。

以前ここで紹介というか、話題として取り上げて、その際に自分が持っているのが少ないと言って、どなたかこれについて情報をお持ちの方がいたら、お知らせ下さいと書きました。

そうしたら、その後実はいきなり2本まとめて宅配されたんです。もちろん、自分の事務所宛てに。
これには正直ビックリしました。てゆーか、戸惑いましたね~。ここ以外にも似たようなコメントをあちこちでしたので、どこかで奇特な方がわざわざ送ってくれたみたいですが、しかし、自分の住所をご存知で匿名というのは、申し訳ないですが、いろいろ考えましたがこれという心当たりがないんです。

もし、それは自分です、とかお心当たりのある方がおられたら、お知らせ頂ければ幸いです。
せめて、一言お礼くらい言わせてください。よろしくお願いします。
ちなみに送られて来たのは、ロック映像年鑑の65年版と67年版のVOL.1の2本です。

しかし、本当にありがとうございます。大切に使わせていただきます。

ロック映像年鑑

2009年9月7日月曜日

青森ロンナイ報告します!


今回はいつになくみんなで晩ご飯でした。海の幸ですね、やっぱ。特に驚いたのは「フジツボ」のゆでたヤツ。甲殻類的な、つまり蟹みたいな味ですが、見た目、食欲わかないんですよね。ショーちゃんはやはりコレ、ダメでした。「気持ちワリーよ!!」って。



アスパム展望台からの津軽海峡夏景色。快晴で気持ち良かったですよ。



上の展望台でゲストDJで来たトシミくんとお茶してます。自販機のコーヒーですけどネ。 



大貫DJ中。かなりの熱気でTシャツ1枚でもアツいです。隣でトシミくんがマイクでパフォーマンス、てゆーか熱い語りを!


主催のTくんは、ツバキハウスのロンナイ時代からのおつきあい。かつて、原宿のストア・ロボットで店長してました。NIGOくんの名付け親でも一部で有名な気さくなお兄さん?

2009年9月1日火曜日

ゴキゲンな映像〜Small Faces &P.P. Arnold

 何気なく、面白い映像ないかな〜ってYou Tubeを見てたら、まぁ、いろいろあったんですが、こんなのあるの?!って、ちょっとビックリなものがありました。

 メインはイギリスのモッド・シーンをThe Whoと二分した形で人気を集めたスティーブ・マリオット率いるSmall Facesなんだけど、そこに一緒に映っていたのが同じレーベル・メイトの黒人女性シンガー、P.P.Arnoldで、思わず「おおっ!」と感動の一声。

 元々、Small Facesはストーンズの所属する英Deccaにいて、そこからマネージメントの関係で新興レーベルのImmediateに移籍し、単なるモッドなビート・バンドからサイケやアシッド・フォークなどを手がけてより大きな成功を収めましたが、レーベル運営に失敗して会社が倒産し、加えてリーダー格のスティーブが抜けるなどのこともあり、解散寸前まで追い込まれましたが、そこを当時まで一般には無名だったボーカルのロッド・スチュワートとベースのロン・ウッドをJeff Beck Groupから招き、その後にワーナーと契約して、Facesとして世界的なビッグ・ネームになるんです。

 P.P.ArnoldはそのImmediateの秘蔵っ子でR&B寄りのPOPSを歌える大型新人として売り出され、バックには当初、キース.エマーソンのNiceがつき、その後はSmall Facesなんども曲を書いたりしてバックもやるようになりました。

 ここでは、前後の関係が不明ですが、Small Facesのナンバーを彼女が一緒に歌っているという珍しい光景を見る事が出来ます。