2009年4月29日水曜日

crossroads 4/22(WED)を音声で

 なんと!あの「crossroads」を音声で聴くことが出来るようになりました。

 これは、常連のお客さんでまだ20代前半の若い人なんですが、彼が個人的にマイクを持参してくれて収録したものを、編集してアップしてくれたものなんです。
 この苦労は相当なもんだと自分でも思いますよ。なにしろ、あちこちに話が飛ぶし、マイクに向かって喋ってないし、トータルでは1時間半以上のトーク・ライブなんですから。それを、写真まで入れてくれて編集してしますなんて!!

  Uくん、ホントにありがとう&お疲れさまです。これからも、時間の許す限りヨロシクお願いします。押忍!

2009年4月27日月曜日

たまには日常風景もね


田園調布から見上げた青空


鴨の夫婦?が近くの公園にいました!!

 いつも音楽ネタばかりですが、たまにはぼくの日常も。

 近所は世田谷ということもあり、緑が多いんだけど、チャリで散歩するのも最近の楽しみのひとつ。いろいろと目に映る景色とか眺めながら、チャリを走らせるのも気持ちいいです。とくに、今の季節はね。肩が痛いんだけど、まぁ、そのくらいはなんとか出来るし。

 昨日は一昨日からの暴風のおかげ?で、空が見事に晴れ渡り、田園調布界隈の空がまるでシアトルみたいでした。シアトルは10数年前にSUBPOPの取材とか、PEARL JAMのライブとかで出かけて、あまりにも天気がよかった(雨はそんなに降らなかったんですよね)んで、いっぺんに気に入りました。街のサイズもLAみたいにデカくないんで、散歩とかも気持ちよかったし。

 そんなこと思い出しつつ、さっき、病院帰りに通った公園の小川(というより単に水たまりです)に、なんと、鴨のつがいが餌をついばんでいたのでビックリ!。都会で鴨は皇居とか大きい公園なら普通だけど、ウチの近所の小さな公園の水たまりに、とは驚きでした。餌場が減ってるんですかね〜。

 ミュージック・マガジンの「ベスト選集」の原稿書かないとなぁ。締め切りとうに過ぎてるし・・・。今、発売中のマガジンにも久々に書いたので見てください。

2009年4月25日土曜日

こないだのCROSSROADSで

 22日の恒例のトーク・イベント「CROSSROADS」に、いつものように「常連」の方をはじめ多くの(でもないけど)音楽ファンが集まってくれて楽しい時間が過ごせました。感謝します。

 今回のテーマは何度も言ってますが、主に60年代のビート・ポップやR&Bなどをそのルーツである戦前の古典的なブルースなどを交えながら改めて検証しよう、という感じのものでした。と言っても堅苦しいものではなく、映像やレコードなど見聞きしつつ、ぼくが解説する、といういつも通りの感じのやり方です。

 いきなりのロバート・ジョンソンの「Sweet Home Chicago」から始まり、ついでそのカバーでぼくが一番好きなFOGHATのバージョンをまず、聴いてもらってから、1時間半くらいで、レアな映像を含め、音楽と歴史の時間を過ごした次第です。

 次回はまだ何をやるのか未定ですが、機会があれば是非みなさんも覗きに来てください。クラブ=踊るというイメージとはかけ離れたイベントですが、自分で言うのもナンですがかなりアット・ホームななごやかな鑑賞会です。映像の写りの悪さやたまに針跳びするのはゴカンベンを。

 では、取り上げたアーティストの中からR&Bの礎を築いた天才的なエンターティナーであり、偉大なアーティストでもあるJBことジェームス・ブラウンの60年代のチョークールな映像をご覧ください。伝説の「ガウン・ショー」の一部も見られますよ。

2009年4月24日金曜日

今さら、ですがジャガーズの岡本信さん

 もう、ご存知の方が多いかと思いますが、グループ・サウンズ時代の人気スターのひとりだったジャガーズのボーカル、岡本信さんが、この19日に自宅で心不全のため急逝しました。享年59才。相変わらず、早過ぎる死です。

 何度も同じような話をしてますが、ぼくの10代の一番貴重な体験と思い出は、ビートルズとベンチャーズは別として、やっぱりGSに出会えたことなんです。彼らがあの頃いなかったら、日本のロック産業そのものが今とはまるで違うものになっていたでしょうし、ロックというものの存在自体、ここまで幅広く認知されていたかも疑わしいです。

 よく、人気とかその存在のありようが、今日のジャニーズ系などのアイドル・グループと比較されるGSですが一面ではその通りですが、違う部分も多くあり、むしろ、ぼくにはその違いが決定的だと思えます。
 女の子が熱をあげて「キャーキャー」叫ぶ、という意味では同じでも、やっていることは明らかに違いました。つまり、GSはバンドであり、それも海外の同時期のバンド、つまりストーンズ、ビートルズからクリーム、バタフィールド・ブルース・バンド、ムーディー・ブルースなどという流行りの最先端に位置していた海外のバンドを、そっくりコピーして聴かせてくれたのです。SMAPやそのほかのアイドルには求めるべくもないものでしょう。

 ジャガーズは、ぼくが最初に見た時は、日曜の朝の番組で司会をオシャレな音楽系芸能人、三保敬太郎さんがしていて、そこにレギュラー・バンドとしていたのが、前身の、宮ユキオ&ザ・プレイ・ファイブでした。三保さんがボサノヴァとか演奏して、ガキの心にも「オシャレだ!」と響いていました。

 やがて、ほどなくしてGSブームとともにかれらはジャガーズとしてデビュー、そこでボーカルをつとめていたのが、ミリタリー・ルックも凛々しい岡本信さんでした。でも、まさか自分とわずか1才しか違わないとはネ〜。

 「君に会いたい」でデビュー即ヒット。ちょうど同じ頃にデビューして人気者になったカーナビーツとよく一緒にテレビにも出まくってました。そのカーナビーツの人気者だったドラムのアイ高野さんも2年前に亡くなりましたよね。3年前?その後も、ゴールデン・カップスのボーカル、デイブ平尾さんやテンプターズのドラムス、大口広さんとかも相次いで亡くなりました。みんな若死にでした。

 心からご冥福をお祈りいたします。そして、思い出と貴重な体験をありがとうございます。

 昔の映像はYOU YUBEにもなかったので、映画の冒頭のシーンで「ダンシング・ロンリー・ナイト」を歌ってるジャガーズです。

ウチの女性スタッフからロンドン通信







 こんばんは。雨模様です。寒いですよね。

 ウチの女性スタッフのYOCCOからロンドン・レポートが来ましたので、簡単に紹介させてもらいますね。彼女がロンドンに向かってから早いもので、もうじき1年です。そろそろ、帰国なんじゃないかと思うんだけど、本人は「ようやく暮らしに馴染んで来たので、まだ帰らないかも」とか言ってます。

 それもいいかも、ですね。日本もたいして面白くないですから。今さらSMAP=ジャニーズおろしでもないです。

 今回のレポートでは、あの「栄光の」ライブ・ハウス「100CLUB」が紹介されていました。ぼくがこの店に行ってから、実に30年以上が経ちます。1976年の夏、8月末に初めて「パンク・フェスティバル」を見に行きました。フェスとはいえ、出演したのは確か3組で、全然知らないバンド二つとPistolsでした。知らないバンドのひとつはThe Clashでした。彼らがデビューしてまだホンの数日のこと。trent on greenでの初演の後、ここに出たわけです。それを偶然見た大貫でした。

 あれから、時代は大きく変わり、普通のバー/ラウンジみたいなクラブだったこの店も、ご覧の通り、キレイなハコに様変わりです!!

壁には当時の記憶としてそのPIstolsやClashの写真が飾られているようです。もともと、ロンドン市内の目抜き通りに面してますから、観光スポットでもありましたが、今はさらにそういう傾向が顕著みたいです。ちなみに、当時、2階にはジャズのメッカ「ロニー・スコッツ・クラブ」があり、そちらの方がはるかに有名でした。

 ロンドンにはもう10年以上行ってません。あんまり面白くないという風評ですが、こういうの見ていると、少しは行きたくなりますよね。

2009年4月19日日曜日

ZOOT16 @LOFT4/18


MURAJUN楽屋ですでに全開?


やっぱりトシミくんは凄い。後ろにSHJがチラッとね。



 今夜は新宿ロフトに新しいZOOT16を見に行って来ました。

 今までとはまたひと味違う、というより、まるで違う感覚のライブでした。それは、もちろん、バンド・スタイルになったこともあるんですが、単にバンドになったと言うのであれば、これまでにもそういう編成のはありました。
 なんというか、バンドはバンドでもやってる人間の個性がモロ出しになってて、そのそれぞれの個性がユラユラ、フラフラで頼りないんだけど、次第にそれらがまとまり合いせめぎ合いして、実に楽しい瞬間がスパークする、みたいな感覚です。

 トシミくんの大きな懐にほかのメンバーたちが集まり、それぞれ自由に遊んでいるような感じ、ですかね。とにかく、ギターのMURAJUNもベースのSHJも、トランペットの子(名前忘れました、ゴメン)もプロからしたらヘタクソなんだけど、そういう巧拙に関係なくみんなのひとつところに向かうエネルギーがバッチリ、シンクロしてとてもハッピーな世界が生まれた、そんな感じです。

 このスタイルでのライブはやるかどうか未定とのことでしたが、なんとかまた見たいし、見ていない人には是非見てもらいたいと心から思ってます。お客さんのこぼれるような笑顔が、このライブのパフォーマンスの素晴らしさをなによりハッキリと物語っていました。決して学芸会レベルではなかったことは、ぼくが保証します。いや〜、むしろサイコーでした!!!

2009年4月17日金曜日

「Mess OF Blues」のエルヴィス・バージョン

 昨日書いたStatus Quoのぼくのお気に入り「Mess OF Blues」のエルヴィスのバージョンの映像です。60年のスマッシュ・ヒットで、彼が兵役に就いていた時期のナンバーなんで、こういう映像になったんだと思われます。

 参考までにご覧ください、

STATUS QUO好きなんですよね

 さっきまで、原宿のバー・ラウンジ「SMOKE」で社長の黒崎さんのバースディー・パーティーでDJしてました。ここでは、ほぼ毎月一度、第4木曜日に黒崎さんの主宰するデザイン・クリエイティブ集団TOKYO DESIGN FLOWが開催しているパーティーのような勉強会のようなイベントで、1時間くらい好きにDJさせてもらってるんです。

 社長は家具のIDEEグループも率いていて、それなら聞いたことある、という人も多いかと思いますが、まぁ、一口に言って、変わった人です。もちろん、いい意味で。ワンマンと言えばワンマンです。でも、強烈なリーダーシップを持った人はほぼ例外なく「変人」です。変人が聞こえが良くないなら「個性的」ですか。とにかく、ユニークな考え方と抜群の行動力、DIY精神の持ち主ですね。

 それで、音楽はハードロックとパンクが好きとのことです。60年代末にはバンドでボーカル&ベースを担当してたそうです。どんなのやってたんですか?とうかがったら、「クリームとかコピーしてました」だって!

 そういうこともあり、ウチに帰ってきて無性に聴きたくなったのが何故かSTATUS QUO。それもエルヴィスがやっていたピアノ・ブルースの「Mess Of Blues」のカバー。コレ、ぼく大好きなんですよね。ロンナイでもたま〜にかけます。完璧に彼らのブギーにリメイクしちゃってるんだけど、そこがカッコいいんですよね。腰が浮いて揺れ出す曲ってのは、こういう曲ですよ。エルヴィス・ファンには悪いけど、ぼくはクオーのこのバージョンがベストだと確信してます。Let's Get It On!


2009年4月15日水曜日

マーキー・ラモーンと


 ちょいと前になるけど、マーキーが来日してましたね。ライブには行かなかったけど、彼の出たイベントにちょっとだけ出て、DJも少しやりました。

 6日の月曜日、六本木のRolling Stone CafeでインターFM主催、トミー・ヒルフィガーが協賛のイベントで、インターの顔とも言えるジョージ・ウイリアムスくんたちの番組「GMG」絡みのモノだというんで参加しました。ジョージにマイクそしてタロヲくんたちは数少ないラジオ関係のお友達ですから。

 まぁ、ラジオのリスナーとかを主に呼び込み、後は関係者かな?でも、ストラマーズの岩田くんとか知り合いにも何人か会いました。予想以上の人出で、キャパ150人がいいとこのハコにその倍以上の人たちが押し掛け、ビル全体が揺れるような熱狂ぶり。

 簡単なトーク・ショウに参加してカッチンは自ら「世界で5本の指に入るラモーンズ・マニア」と公言してました!!写真はそのカッチンとマーキーと並んだところを写メしたもので、画像が粗いのは明かりがアンダーだったからで、見づらくてスミマセン。

 ライブもやってました。ラモーンズの曲ばかり30分くらい。でも、やっぱり見た目は明らかに違うし、雰囲気もねぇ。しかし、メンバーがいないんだから仕方ないか。気分はラモーンズ、には一瞬でもなれますから。バンドのほかの二人は若いけどイイ人たちでした。ベースのオネーさんは特に愛想良かったな。

 じゃ、また。

2009年4月13日月曜日

CROSSROADS 4/22(WED)

 今月の恒例「クロスロード」では、お伝えした通り、ルーツなロック、R&B、ブルースなどを集めて、みなさんと音楽に浸ろうかと考えています。

 まだ、具体的に何をどう見てもらうとか考慮中ですが、例えばこんな映像もあればいいかな、と思ってます。これは言うまでもなく、60年代イギリスのいわゆるBRITISH BEAT日本風に言うなら「リバプール・サウンド」で、中でもこのエリック・バードン(後にWARを結成)を擁したアニマルズとかヴァン・モリソンがいたゼムとか、明らかに一連の「リバプール・サウンド」とは一線を画すR&Bテイストなバンドも人気を集めて、その後のイギリスにおけるブルース・ロックの流れに多大な貢献を果たしたバンドがいました。

 22日水曜日、午後9時半頃からいつものように渋谷のオルガン・バーでやりますので、お時間ある方は是非覗きに来てみてください。では、アニマルズで「悲しき願い」(日本では当時、尾藤イサオさんが日本語でカバーしていましたね)です。


2009年4月10日金曜日

プログレ

 4月3日のぼくとカッチンのやってるラジオ「ROCK YO TOWN」で1時間丸ごとプログレ特集を、ノーMCでやりました。まぁ、初めに簡単な説明はしましたけど。

 そしたら、何故か?曲目とかについての問い合わせがあったそうです。こう言っちゃナンだけど、あの番組にはお便りとか問い合わせとかの類いは滅多に来たことないんですよ。コミュニティーFMだからか、何なのか理由はまるでわかりませんが。

 それが、「プログレ特集」で今回初めて問い合わせが来た、と担当Dに言われてビックリです。カッチンも同じように驚いてました。好きなヤツはどこにでもいるんだなぁ、って。まぁ、お便りがないからといって、リスナーがゼロということにはならないけど、やっぱりリアクションはないよりあった方が「モチベーション」があがりますからネ。

 この回の選曲リストはすでにサイトにアップしてありますので、そちらを参照してもらえればありがたいです。一応、およそのところだけコメントしてくと、オープニングはPINK FLOYDの『ATOM HERAT MOTHER』から「Fat Old Sun」、次が初期DEEP PURPLEで68年の『Book Of Taliesyn』から「Composition~We Can Work It Out』、続いて現SYSTEM7で活動中のスティーブ・ヒレッジの75年の初ソロ『FISH RISING』から「The Salmon Song」などなど。1曲が基本的に長い演奏なんで1時間枠でも、8〜9曲くらいOA出来ればいい方。

 とにかく、お問い合わせいただいてチョー嬉しかったです。聴いてる人は聴いてるんだな、と再認識しました。頑張ります。映像はスティーブ・ヒレッジのライブでセカンドの『L』からドノバンのカバー(つーか、もはやコレはリメイク)の「Hardy Gardy Man」。ロックン・ロール・ジプシーと異名をとった時期の彼のアシッドでラーガな演奏を一度聴いてみて欲しいです。

2009年4月6日月曜日

KURT COBAIN14回忌

 4月8日はニルヴァーナのカート・コバーンの14回忌。1994年の4月8日、彼の遺体がシアトル近郊の自宅で発見されたわけですが、猟銃自殺ということで、後から「遺書」のようなものが見つかったとかいろいろな報道、憶測が飛び交いました。

 ニルヴァーナはいわゆるグランジ・ブームの牽引役としてあるいはそのシンボルとして世界中のマスコミや音楽ファンから大きな注目を集め、メジャー・デビューのアルバム「NEVER MIND』は世界中で1000万枚近いセールスを記録しているとのこと。92年には同じ音楽仲間だったHOLEのコートニー・ラブと結婚して子供(フランシスちゃん)までもうけました。なのに、そのわずか2年後の94年に何の予兆もなしに「自殺」のニュースがぼくらのもとに飛び込んで来たんです。2枚目の新作『IN UTERO』をリリースして、さあこれからまた活躍が期待される、という矢先の事件でしたから、そりゃあもうクリビツでした。

 シアトルは自殺の多い都市、ということは聞いていましたが、まさか、こんな形で証明されるなんて・・・。

 未だにぼくのプレイリストのマストの1曲「Smells Like Teen Spirit」は、今でもかけるとフロア爆裂です。ちなみに、関係ないけど、スヌーザーのボス、タナソーがニルヴァーナ好きなのは周知のところだけど、彼がDJを始めるきっかけのひとつは、ぼくがかつて西麻布にあったクラブYELLOWでやった「業界DJ大会」的なイベントに彼を引っ張り出したことかも。
 その時の彼は緊張感ピリピリで、慣れない手つきでCDJを操り、とにかく何度となくニルヴァーナをプレイしていました。

 ニルヴァーナはある意味で20世紀を締めくくるような存在でした。彼らがそれまでのビートルズ〜ピストルズといったロックの系譜のひとつの到達点であり、同時に新たな起点にもなったんです。少なくともぼくには彼らがメジャー・デビューした時、そう思えました。そして、その考えは今でも変わりません。

 今週の「ロンナイ」@ワイヤーは少し多めにNIRVANAかけようかな。ヒカルくんはPUNKSPRINGフィーヴァーだろうしネ。


2009年4月3日金曜日

AZTEC CAMERA!!!





 さっきまでミュージック・マガジン用の原稿を書いてました。

 マガジンへの寄稿は久々で、今回のものは過去のマガジンでの年間ベストをあらためてまとめて今の時点での評価を、いろいろな書き手にレビューしてもらったものを掲載するという企画みたいです。
 そこで、ぼくが担当したものは80年代以降のアルバムの中からひとつはザ・クラッシュの『SANDINISTA!』で、もうひとつがAZTEC CAMERAの83年のデビュー・アルバム『HIGH LAND,HARD RAIN』でした。もちろん、クラッシュのその作品にも大きな思い出や気持ちがあります。でも、原稿を書きながらCDを聴いていて、このAZTEC CAMERAの作品に思わず聴きほれてしまったんです。

 このアルバムを初めて聴いた頃のことが、まさに走馬灯のようにザーッと頭や胸に去来して、なんとも切ない気分になりました。ロディ・フレイムも今年で確か45くらいです。ぼくより一回りは年下なんですが、83年ですから、あの頃の彼は19かそこら。ぼくも32でした。「ロンナイ」を始めてまだ間もない頃でしたし、ラジオではAMのラジオ関東(後にラジオ日本)でイギリスのチャートを扱う日本で初めての番組「全英トップ20」をやっていた頃です。そういえば、一昨日、その番組を一緒にやっていた今泉さん(スヌーピーと言った方がシックリしますが)と、これまた久々に彼女のFM横浜の番組にゲストで出ました。OAは確か(いつもあやふやでスイマセン)今週の金曜日(今夜?)、だったような。

 とにかく、このアルバムには特別な思いがあります。パンクからネオアコへ、なんていう単純なものではなく、パンクの熱気にまだうなされていて、それでもそこから新たな地平を目指そうという優れたミュージシャンやバンドたちに囲まれていた時代。そんなところにポツンと現れたAZTEC CAMERAそして、そのリーダー(というより実質的には彼のソロ・プロジェクト)だったロディ・フレイム。彼と会ってパンクやそのほかいろいろな音楽の話をしたことなど、思い出は今も泉のように湧き出て来ます。

 そしたら、YOU TUBEにちょいとゴキゲンな映像がありましたので、みなさんにも見て欲しくてここに載せました。曲はアルバムの中でも「Pillar To Post」と並ぶぼくのフェバリット「Walk Out To Winter 」。歌詞が特にイイんですよね。「〜きみの部屋の壁に貼ってあるジョー・ストラマーのポスターがはがれ落ちる 何となく貼ったんだけど、考えてみるとぼくらが彼らから得たものってずいぶんたくさんのこと 甘くて苦くて〜」なんていうクダリはもう、その頃のぼくの気持ちそのまま。