2009年6月8日月曜日
奇妙でクレイジーでチョーKOOLなバンドーThe Pink Fairies
アメブロでも紹介しましたが、ここでもやります。
つまり、最近、またなんだかロックがマスコミの餌食になりそうなニオイがしてるんで
しかし、あんまり悪口や批判はしたくないけど、今時のロック、それもJ-POP,J-ROCKとかって、どこがどういう風に面白いのか、まるで理解できないんですが・・・。かと言って、スカパーとかの「洋楽」PVとか見てても、なんじゃこりゃぁ?ってのがたくさんいます。それが、メーカーによると「今世紀最大の衝撃」とかって・・・んな大げさな!!??ぼくがレコードやCDを購入している某ショップのネット通販のレコード・キャプション(宣伝文句)くらいに大げさなら、まあ、笑うしかないんですけどネ。
そんなクラッシュのメンバーの口からもしょっちゅう名前とか出ていた(具体的でなくても)、彼らと同じ地区、ロンドン西の郊外、蚤の市でおなじみのポートベローからノッティングヒル・ゲート、奥の方のギャズなんかが住んでいるラドブローク・ロードとかシェパーズ・ブッシュ、全体的にはチズウィック地区(THE WHOの出身地)。このへんは、かつて戦前は郊外の美しい住宅街として人気の的だったとか。でも、やがて戦後になり、労働力としてのジャマイカ移民らが戦争で荒廃したこの地に囲い込まれてからは移民街となり、特に60年代末から70年代半ばまでは、いろいろな社会的紛争の絶えない街になっていった。今は、そんなに危険ではないらしいけどネ。
そんな危険な地域だったこの界隈で、60年代末から70年代初期にかけて、ここを根城にヒッピーイズムなコミューン生活圏を築いていた集団がいた。それは、政治的な主義主張で結ばれていたのではなく、単に、あの時代の空気にあおられて、酒とドープの日々を音楽とともに過ごしたかった若者たちのコミューンだった、のかもしれない。クラッシュのメンバーたちは、そういう昔のヒッピーたちを毛嫌いし、しかし、反面では音楽的には評価もしていた。
最初に現れたのはTHE DEVIANTSというバンドで、これは故ジョン・ピールからも絶賛され、一時的に話題になり、ポリドールというメジャーと契約するまでに至った。リーダーでボーカルでギターも詩曲も作るミック・ファーレン率いるこのバンドは、当時としてはきわめて型破りな音楽スタイルと信条を持ったバンドだった。アメリカかぶれのヒッピー野郎などとも揶揄されるが(クラッシュもそう言ってた)、その実際はそういう一面もあるが、明らかにそれまでのイギリスのロックには少なかった、体制批判や政治的な攻撃性を秘めていた。アーティスティックであり、アナーキックでもあった。ゆえにGOD OF PUNKなどと評されたのだ。
サウンドは、それでも決してハードとかではなく、むしろ、穏やかなフォーク風のものさえあった。そういう意味ではアメリカのTHE VELVET UNDERGROUNDやTHE STOOGES,THE FUGSなんかと共通する部分が多くあったように思える。
しかし、今回は彼らが主役ではない。その後に70年代になって生まれたバンド、THE PINK FAIRIESがそれ。
彼らは、もともと、THE DEVIANTSであった。つまり、かのミック・ファーレン、THE DEVIANTSのリーダーが、そのあまりのわがままぶりでほかのメンバーから放逐されてツアー中のアメリカから、仕方なくイギリスに帰ってきて、懲りずにまたメンバーを集めてバンド作りを始めたことに起因する。そしてソロを1枚作り(『MONA THE CARNIVOROUS CIRCUS 』)、その時のメンバーが、元プリティ・シングスのTWINK(ドラムス)とスティーブ・ペルグリン・トゥック(元ティラノザウルス・レックス)で、レコーディング以外でも彼らは仕事をし、その時にはすでにPINK FAIRIESを名乗っていたという。ところが、ここでまた内紛。例のごとくファーレンとほかの二人とが対立し、バンドはあっさり解散。70年初めの頃らしい。
しかし、TWINKはバンドの構想は気に入っていたようで、ファーレンの残したTHE DEVIANTSのメンバーたちが帰国するのを待ち、バンドを結成、ここに正式な意味でのTHE PINK FAIRIESが生まれた。メンバーはTWINK(DsVo),ポール・ルドルフ(G),ダンカン・”サンディ”・アンダーソン(B),ラッセル・ハンター(Ds)、という布陣。ツイン・ドラムというのは予期されたアイデアではなく、たまたまラッセルがドラムだったからだとのこと。
70年春、彼らはロンドン郊外チョークファームにある(今はないです)ライブ・ハウス「ラウンドハウス」(元は機関車の操車場だったため円形の建物で、そう呼ばれていた。ぼくも一度73年にCHICKEN SHACKを見に行きました)で初ライブを行い、以後、活発にライブなどの活動を行うようになる。折しも野外フェス全盛期。今の日本と似てるねぇ。その中で、彼らは当時話題の中心だったワイト島フェスと同じくバース・フェスに対する意義を唱える団体と行動を共にし、会場の外部であえて反ワイト等コンサートとか反バース
コンサートなどを繰り返し行い、それによりアンチ商業主義勢力の先鋒として注目されることになった。おかげで、メジャーからのオファーも多く受け、結局ポリドールと契約した。
そして、翌71年1月についにデビー・シングルをリリース。ぼくらの目に留まることとなる。シングルは「The Snake c/w Do It」で、特にB面の「Do It 」はTWINKの作品で、68年のアメリカはシカゴでの民主党大会での暴動協議で訴追された、いわゆるシカゴ7の一人、過激な思想家と言われたジェリー・ルービンの同名の本に感化されたもの。この曲は、後年、77年にロンドン・パンクが吹き荒れた時に「Do It '77」としてリミックス・バージョンで再発され、一部で(ぼくもそのひとり)話題になった。
そして3月からいよいよ1stアルバムのレコーディングにかかり、およそ3週間で仕上げ、その夏に発売されるもさすがに大ヒットとはいかず、密かなマニアのお楽しみとなり、それは今日まで脈々と地下の水路で人知れず眠り続けてきたのだ。あー、もったいない。
この直後、TWINKはバンドをやめ、それでも彼らはあと2枚の作品をリリースすることになる。
では、ここで参考までにWIKIPEDIAでの彼らの項目から少し抜粋。
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THE PINK FAIRIES
Origin
London, England
Genre(s)
Psychedelic rock, proto-punk, prog rock, pub rock, punk rock
Years active
1970–1976; 1987–1988
Label(s)
Polydor, Stiff, Demon
Associated acts
The Deviants
Mick Farren
Hawkwind
Motörhead
Former members
Paul Rudolph
Duncan Sanderson
Russell Hunter
Twink
Mick Wayne
Larry Wallis
Martin Stone
Andy Colquhoun
The Pink Fairies were an English rock band active in the London (Ladbroke Grove) underground and psychedelic scene of the early 1970s. They promoted free music, drug taking and anarchy and often performed impromptu gigs and other agitprop stunts, such as free outside the gates at the Isle of Wight pop festival, the Windsor Free Festivals as well as appearing at the first Glastonbury outing and Phun City.
History
The group were formed when the three musicians from The Deviants (Paul Rudolph) (born 14 June 1947, Vancouver, British Columbia, Canada) – guitar and vocals; Duncan Sanderson – bass (born 31 December 1948, Carlisle, Cumbria); Russell Hunter – drums (born Barry Russell Hunter, 26 April 1946, Woking, Surrey), having sacked their singer and leader Mick Farren (born Michael Anthony Farren, 3 September 1943, Gloucester, Gloucestershire),
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