昨日、6月4日はロニー・レインの命日でした。
彼が亡くなったのは、97年の6月4日でしたから、今年で12年目、いわゆる13回忌になります。前にも書いたけど、彼については今では多くの人がその早すぎた死を惜しみ、悼んで、ネットを少し見ただけでも多くのコメンタリーや情報が得られます。
ぼく自身、彼の存命中には、そんなに特別な感情で接した覚えはないんですが、それでも、一応はSMALL FACESの時代からリアルタイムで見聞きしてますから、存在は十分に認識していました。そのスモール・フェイセス時代では主役のボーカル/ギターのスティーブ・マリオットの良き相棒としてソングライターとしても貢献し、オルガンのイアン・マクレイガンと共に、「センスのいいモッドなミュージシャン」としても渋い味を出していました。
その後、ステイーブが抜け、新たにロッド・スチュワートとロン・ウッドのコンビが加入して来てからもアクの強い二人の陰で、その変わらぬイメージとソングライターとしての才能とで、バンドを支えていました。
そして73年に、日本人ベーシストのテツ山内と交代し古巣を離れてからも、ソロとして活動を行い、ザ・フーのピート・タウンゼントと共にアルバム『ラフ・ミックス』を制作するなど、地道ながら着実に歩を進めていました。
そんな彼に突然の不幸が襲ったのは77年頃のことで、彼の祖母もそうだったらしいんですが、きわめて珍しい病気にかかり、以来、20年にわたり病魔と闘いながら、音楽活動を行い、ついに97年の6月4日に惜しまれつつ世を去ったのでした。
彼の音楽はあくまでイギリスはロンドンの下町、イーストエンドから離れることなく、しかし、街の音、というよりイメージとしては実にのどか、おおらか、牧歌的でさえあり、都会の喧噪とは無縁のように見えますが、それでもやっぱり、ぼくには下町の路上で培われたセンスが彼の本質じゃないかと思っています。
ソロになってからの音楽はバンド、スリムチャンスと共に奏でるものを含め、常にアコースティックでトラッド・フォークの香り高いものがほとんどでした。マンドリンにフィドル、アコーディオンなどの楽器編成もそれを裏打ちしています。でも、アメリカに拠点を移してさえも、彼の雰囲気はやはり「英国的」でした。アメリカンなC&Wとは明らかに違う世界がそこにはあったと思います。
今からでも彼の音楽を体験するには遅くはありません。彼を好きになれたら、多分、その分またあなたの音楽の世界がグッと広くなるはずです。映画「RONNIE』のサブタイトルは「モッズとロックに愛された男」でしたが、それは単なる宣伝文句ではなく、真実の一筋です。月並みですが、彼はいないけれど、彼の音楽は永遠に生きるのです。それを聴くものがいる限り。
映像はソロのシングルで代表曲の「How Come」。イイ味出してますよね。
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