2009年12月28日月曜日

冬の空と木々とPFM














 冬空に突き出すような葉を落とした木々を見ていたら、その空の威厳に満ちたような光景にしばし見とれてしまいました。

 自然の生み出すさまざまな風景、景観はいろいろなメディアで見慣れているのに、身近なところにも、素晴らしい世界があったんだな、と妙に畏怖の念みたいなものが自然に心にわき上がりました。エコとかロハスとか、そういうことでもなく。

 そんな光景を見ていてフト思ったのが、こういうシーンにはプログレが似合うな、と。まぁ、妄想ですが、それでも、どんな折にも音楽とリンクするのは昔からの習性みたいなものなので、ぼくには普通です。12月、と聞くと、何故かBEATLESの「恋を抱きしめよう」やフォークルの「帰ってきたヨッパライ」とかが心に浮かぶんです。遠い記憶が甦るんでしょうね。その2曲なのが何故かはわかりませんけど。


 プログレでもいろいろ種類はあるわけで、その中でも、ぼく的には真っ先に思い浮かぶのはイタリアの70年代初めに出て来た、PFM。元々はプレミアータ・フォルネリア・マルコーニという長い名前でしたが、すぐに頭文字を取ってPFMが正式名称になりました。彼らのイギリスでのデビューは1973年で、キング・クリムゾンの歌詞担当で知られていたピート・シンフィールドに見初められ、彼がその年に設立した新しいレーベル「マンティコア」からデビューしました。作品名は『PHOTOS OF GHOSTS」(現在の市販品はビクターからも紙ジャケでVICP-60809)
 ちょうど、その頃、ぼくも初めてのイギルス旅行中で、彼らのレディング・フェスでのステージも見ていました。さらに、幸運にも彼らを取材することも出来たんです。会ったのは、ロンドン市内(かなりアバウト)で、パブかカフェだったか、とにかく、そういう場所でバイオリンのマウロ・パガーニとキーボードのフラヴィオ・プレモーリの二人にぼくと通訳兼カメラマンの人の4人だったような気がします。
 英語は今もロクに喋れませんが、彼らもまだイタリアから来たばかりで似たようなものだったので、互いにゆっくりとした会話になり、それが逆によかったみたいで、互いにぎこちないながらも、何とかコミュニケートすることが出来ました。


 彼らの音楽の基礎にあるのはクラシックで、そこにイタリアンなフォルクローレなどの要素が加味され繊細かつ情熱的な叙情詩のような世界が展開されていて、もちろん、技術的な部分も見事で、ぼくには実に入りやすいものでした。特に印象的なのがそのデビュー・アルバムのハイライトのひとつでもある「River Of Life」は今でもラジオなどでことあるごとにプレイしていて、イタリアン・シンフォニック・プログレの名曲中の名曲だと思っています。

 彼らについてはWIKIPEDIAに以下のようなコメンタリーが出ています。参考までに紹介します。でも、CDをキチンと聴いてみて欲しいですね。
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Photos of Ghosts
P.F.M. の スタジオ・アルバム
リリース
1973年9月
録音
1972年
ジャンル
プログレッシブ・ロック


レーベル
マンティコア・レコード
プロデュース
ピート・シンフィールド
P.F.M.
クラウディオ・ファビ

1971年イエスやディープ・パープル等のイタリア公演で前座を務めてイタリアの聴衆への認知度を高めていった。そして1972年3月、ルーチョ・バッティスティのレーベルであるヌメロ・ウノ(Numero Uno)から、アルバム『幻想物語』でデビュー。イタリア国内チャートで最高4位まで上昇し、さらに同年暮れにはセカンドアルバム『友よ』をリリースした。これと前後してELPのイタリア公演の前座として出演し、それがきっかけとなってグレッグ・レイク及びピート・シンフィールドに注目されてイギリスに招かれ、『友よ』をベースとした英語詞主体のアルバム『幻の映像』を制作、1973年3月にロンドンのABCフラム劇場でイギリスでの初ステージを実現し、さらに8月のレディングのロック・フェスティバルに出演。このステージが聴衆から高い評価を得た。この時のラインナップはフラヴィオ・プレモーリ(キーボード・ボーカル)、フランツ・ディ・チョッチョ(ドラム・ボーカル)、ジョルジオ・ピアッツァ(ベース)、フランコ・ムッシーダ(ギター・ボーカル)、マウロ・パガーニ(バイオリン・フルート)の5人編成だったが、9月にマンティコア・レーベルから国際デビューした前後に、ベースがピアッツァからアレアに在籍していたヤン・パトリック・ジヴァスに交代した。

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