2009年7月29日水曜日
カオリちゃんソーロング!
カオリちゃんのDJはいつもロックの奥深さを教えてくれていました。ホントに。心からのロック・ファンだったね。
ご存知かもしれませんが、ぼくの古い友人でファミリーでとにかく、大切な仲間だった川村カオリちゃんが38才で、いっちゃいました。
とにかく、キヨシローくんにしてもカオリちゃんにしても、ガンだから厳しいとは薄々感じてはいましたが、現実になってみると、やっぱりツラいです。
でも、キヨシローくんの時も、ジョーの時にもジョニー(サンダース)の時にもそうだったけど、コレという特別なことはしないで、普通にDJしたりラジオをやったり、トークショーしたり、原稿書いたり、ということを地道に続けることが、彼らもきっと喜んでくれてると、勝手に思ってます。
カオリン、天国でロケンローしていてよ!Oh Yea!!
Rest In Peace!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2009年7月27日月曜日
Vince TaylorオリジネイターUKロカビリー
EMIの「Dance Forever」シリーズで再発されました。カタログ番号は35です。レコード番号は5 099915 613172です。ちなみに1番がルイ・プリマの「Just a Gigolo」で最後の40番はkyu sakamoto
レコードをあれこれ探していたら、またみなさんに紹介してみたいモノがありましたので。
モノはイギリス50年代から60年代半ばくらいにかけて活動して、そこそこ人気もあったVince Taylorの一番有名な「Brand New Cadillac」の再発の7インチ。オリジナルは1959年に出てるんですね。しかも、表記が「Pledging My Love c/w Brand New Cadillac」でしたので、B面だったのかも。オリジナル盤はさすがに持ってないので、あくまで想像です。
ネットで調べてもあんまり件数はないみたいです。でも、日本語で検索してたら、ひとつ凄く面白いブログを見つけました。「オクジュン」さんのブログなんですが、文章といい、扱うものといい、すべてがキョーレツでリアルなんですよね。レコードのコレクションもありましたが、これがまたスンゴイんですよ。CliffやらTommy Steelやらオリジナルのアナログで持ってるんですから。ウチらで言うと、TAGO!とかDJコブラみたいなマニアなんでしょうね。
それはともかく、このヴィンスさんは91年に50ちょいで亡くなってるんですが、その人生はまさに「波瀾万丈」だったみたいです。18才でエルヴィスやジーン・ヴィンセントにシビれて、以来、死ぬまでホンキのR&R人生。奇行癖の持ち主でもあったとかで、ステージをすっぽかしたりは日常茶飯事だったようです。彼のバンド、The Playboysのメンバーもそういうところで衝突して何度も喧嘩したり、解散したりしています。永遠の不良兄ちゃんだったんでしょうか。まぁ、人の心の中は分かりませんから、彼には彼なりの思いや考えがあったのかもですが。また、本国でよりもフランス、特にパリで人気者だったみたいで、有名な劇場オランピアに何回も出ています。現地のロック兄さんジョニー・アリディとも親しかったようですし。
見た目はジーン・ヴィンセントで、歌い方や動きはエルヴィス、と言われていますが、まさにそんな感じです。でも、先に出たクリフ・リチャードやトミー・スティール、さらにはアダム・フェイスとかロード・サッチ、ジョニー・キッド、アルヴィン・スターダストなんかとともに、ビートルズ前のイギリスのロックンロールを担っていたことは確かなようです。
もうじき8月、お盆も彼の命日も近いです。
動きも見た目もこれはELVISです。68 Comeback時期のね。すごいツイスト!!
2009年7月26日日曜日
友川かずき「生きてるって言ってみろ」
先程、ちょっと話に出たんで、探してみたら昔のものではないですが、ありました。
彼とはその昔、NHKのラジオ番組「若いこだま」(すごいタイトルです)のDJ仲間でした。そして、渋谷にあった頃のライブハウス「屋根裏」などで何度かステージを見ました。
あの頃は一升瓶を前に置き、ボサボサ頭でうめくように歌っていました。本当に感動した瞬間でもありました。
最近は何をされているかまるで知らないんですが、たま〜に「競艇中継」でゲストで出ているのを見かけた記憶があります。
彼とはその昔、NHKのラジオ番組「若いこだま」(すごいタイトルです)のDJ仲間でした。そして、渋谷にあった頃のライブハウス「屋根裏」などで何度かステージを見ました。
あの頃は一升瓶を前に置き、ボサボサ頭でうめくように歌っていました。本当に感動した瞬間でもありました。
最近は何をされているかまるで知らないんですが、たま〜に「競艇中継」でゲストで出ているのを見かけた記憶があります。
またまたCROSSROADSがラジオみたいに
毎月第4水曜日に、渋谷のOrgan=Barで開催しているぼくの音楽トーク&音楽鑑賞会「CROSSROADS」ですが、またも、熱心なお客さんの若者Yくんにより、音声と画像でYOU TUBEにアップしていただきました。
ハッキリ言って、こんなに手間のかかること、フツーは出来ないと思います。しかも、無償、タダ、ダータでやってくれてるんですから!!いや、それ以上です。ちゃんと入場料1000円も払ってくれてるんです。ぼくが、もうキミはスタッフみたいなもんだし、お金は払わなくていいよ、と言うと「いえ、ちゃんと払いたいんです。大貫さんの話やレコード、映像でロックの勉強をさせていただいてますから」とのこと。
まぁ、義理堅いというか、奇特というか、頑固です。そのためにも、ぼくがキチンとしないといけないんですよね。まぁ、今のところは固定客とでもいうか、好きな方が毎回のように通ってくれています。場所や時間などいろいろ制約があるのは確かですが、ぼくは「ロックを語り、自分なりの歴史を振り返る」のも自分の役目だと思ってますから。単にクラブでDJやるだけでは、お伝え出来ないことが沢山あるんですね。音楽の話はキリがないですから。
今回アップしてくれたのは、先月の「1969年特集」のトークの一部ですが、声だけだと今イチ面白味が希薄なので、彼は自身で工夫して関係ある画像をうまく入れ込んでくれていて、ぼくも楽しみにしてるんです。
今月も器材をかついで来てくれてましたが、後から知り合いに聞いたところ、寝ないで編集作業とかしているみたいです。身体をこわさないようホドホドにお願いしますね。
変わり者、で片付けるのは簡単ですが、そういう「変わり者」がいなくなった、激減したから今のツマラナい音楽環境になったとも言えます。ミュージシャンもリスナーもフツーでテキトーなのがいいみたいですが、そんなのは、人生の無駄遣い以外のなにものでもない、とぼくは経験上痛感しています。平均値は、つまり「どーでもいい」って意味と同じです。Positive Vibrationこそが生きる意味を与えてくれるんです。宗教家でなくてもそれくらい分かりますよね。
友川かずきサンの名曲「生きているって言ってみろ」そのまんまです。
ここに添付しておきますので是非ご覧ください。そして、Yくんありがとうです。
ハッキリ言って、こんなに手間のかかること、フツーは出来ないと思います。しかも、無償、タダ、ダータでやってくれてるんですから!!いや、それ以上です。ちゃんと入場料1000円も払ってくれてるんです。ぼくが、もうキミはスタッフみたいなもんだし、お金は払わなくていいよ、と言うと「いえ、ちゃんと払いたいんです。大貫さんの話やレコード、映像でロックの勉強をさせていただいてますから」とのこと。
まぁ、義理堅いというか、奇特というか、頑固です。そのためにも、ぼくがキチンとしないといけないんですよね。まぁ、今のところは固定客とでもいうか、好きな方が毎回のように通ってくれています。場所や時間などいろいろ制約があるのは確かですが、ぼくは「ロックを語り、自分なりの歴史を振り返る」のも自分の役目だと思ってますから。単にクラブでDJやるだけでは、お伝え出来ないことが沢山あるんですね。音楽の話はキリがないですから。
今回アップしてくれたのは、先月の「1969年特集」のトークの一部ですが、声だけだと今イチ面白味が希薄なので、彼は自身で工夫して関係ある画像をうまく入れ込んでくれていて、ぼくも楽しみにしてるんです。
今月も器材をかついで来てくれてましたが、後から知り合いに聞いたところ、寝ないで編集作業とかしているみたいです。身体をこわさないようホドホドにお願いしますね。
変わり者、で片付けるのは簡単ですが、そういう「変わり者」がいなくなった、激減したから今のツマラナい音楽環境になったとも言えます。ミュージシャンもリスナーもフツーでテキトーなのがいいみたいですが、そんなのは、人生の無駄遣い以外のなにものでもない、とぼくは経験上痛感しています。平均値は、つまり「どーでもいい」って意味と同じです。Positive Vibrationこそが生きる意味を与えてくれるんです。宗教家でなくてもそれくらい分かりますよね。
友川かずきサンの名曲「生きているって言ってみろ」そのまんまです。
ここに添付しておきますので是非ご覧ください。そして、Yくんありがとうです。
2009年7月24日金曜日
アベフトシくん急逝
すでにご存知の方が多いとは思います。
ぼくもまだ気持ちの整理というか、あまりに唐突な出来事に混乱しています。43才で突然亡くなるなんて、いくら何でも早すぎます。
彼のことをよく知ってるのか?と言われれば。そうではありません。彼と初めて会ったのはミッシェル時代の後半で、知り合いからメンバーを紹介されてからのお付き合いです。でも、彼以外のメンバーとはよく喋ったりしましたが、彼とはほとんど会話らしい会話をした記憶がありません。2000年の『LONDON NITE 20周年」記念のイベントの時にも楽屋に挨拶には行きましたが、ロクな挨拶も出来ずじまいでした。解散ライブの時も同様で、今思えば残念なことです。
彼のゴッツイ、骨太なギターワークとサウンドは明らかに彼らの音楽の核になっていました。あの細い身体のどこにあんなに強烈なエナジーが潜んでいるのか未だに不思議な気持ちです。
いずれにしても、日本のロック界はまた惜しい才能をひとつ失ったのです。J-POP流行りのご時世ですが、Jじゃないワールド・スタンダードなロックンロールを目指すミュージシャンやバンド、DJ、音楽ファンには実に残念な事件です。しかし、彼もおそらく、こんなところでとどまっている場合じゃないと思っているはずです。彼のためにも、前向きに進んで行くしかありません。
ただ、今は彼のご冥福を心よりお祈りします。お疲れさまでした。そして、ありがとう!
合掌
ぼくもまだ気持ちの整理というか、あまりに唐突な出来事に混乱しています。43才で突然亡くなるなんて、いくら何でも早すぎます。
彼のことをよく知ってるのか?と言われれば。そうではありません。彼と初めて会ったのはミッシェル時代の後半で、知り合いからメンバーを紹介されてからのお付き合いです。でも、彼以外のメンバーとはよく喋ったりしましたが、彼とはほとんど会話らしい会話をした記憶がありません。2000年の『LONDON NITE 20周年」記念のイベントの時にも楽屋に挨拶には行きましたが、ロクな挨拶も出来ずじまいでした。解散ライブの時も同様で、今思えば残念なことです。
彼のゴッツイ、骨太なギターワークとサウンドは明らかに彼らの音楽の核になっていました。あの細い身体のどこにあんなに強烈なエナジーが潜んでいるのか未だに不思議な気持ちです。
いずれにしても、日本のロック界はまた惜しい才能をひとつ失ったのです。J-POP流行りのご時世ですが、Jじゃないワールド・スタンダードなロックンロールを目指すミュージシャンやバンド、DJ、音楽ファンには実に残念な事件です。しかし、彼もおそらく、こんなところでとどまっている場合じゃないと思っているはずです。彼のためにも、前向きに進んで行くしかありません。
ただ、今は彼のご冥福を心よりお祈りします。お疲れさまでした。そして、ありがとう!
合掌
2009年7月21日火曜日
Pentangle『Basket Of Light』 3rd 1969
ご無沙汰でした。いや、まぁ、そこそこ忙しかったけど、それが言い訳です。アメブロやmixiとかには書いてましたもんね。
肝心の自分のブログに何も入れないのはイカンです、ハイ。
で、今日はお気に入りのThe Pentangleのアルバムを簡単に紹介します。もっとも、コレも仕事絡みで、来週の月曜に録音する予定の、伊藤政則先生の番組の特番で「テーマは1969」つーことで二人であーだこーだ言いながら、曲やバンドを紹介しようって企画です。
それで、少しは違うものも選んじゃおうかな、という感じで10数枚をチョイスした中で、あんまり69年絡みで出て来ないようなのを、ここでちょいと紹介しようか、と。
67年にデビューして、そんなに大きな話題にも人気もなかったけど、一部のマニアとかミュージシャンから熱い視線を浴びていたバンド、THE PENTANGLE。この作品はまさに69年にリリースされて、彼らとしては初めて大きな話題になり、そこそこヒットし、売れた作品『BASKET OF LIGHT』(BMGファンハウス BVCM-47018)です。この年、やはりイギリスのフォーク/ロック・シーンで重要な位置を占めていたFAIRPORT CONVENTIONも『UNHALFBRICKING」という今にもその重要性をとどめる作品を発表し、そういう意味ではこの頃というのは、英国フォーク/ロック音楽にとってもっとも充実し、かつ、ひとつの頂点を迎えていたというべきかもしれない。
相変わらずここでも紅一点のボーカル、ジャッキー・マクシーは素敵だし、ムサい感じでも腕は確かな二人のギタリスト、バート・ヤンシュとジョン・レンボーンのコラボは絶妙で、彼らのアコースティックなギターから紡ぎ出されるサウンド、音楽はまるで時空を超えて羽ばたくかのような感性に輝いている。
ZEPPのジミー・ペイジが彼らのファンだというのはあまりにも有名で、プレイぶりにもその影響は聞いて取れるほど。ほかにもニール・ヤングやスミスにいたジョニー・マーやオアシスのノエルまでがファンを自称している。なのに、このジャパンではほぼ無名。ああニッポンよ!!ガンバローぜ。
ここの映像はこのアルバムからで、ぼくのお気に入りでもある「Hunting Song」。オリジナルで、内容は、モルガン・フェがアーサー王に贈ったとされる魔法の角の杯の物語にヒントを得たものという。さすが、イギリスですわ。
肝心の自分のブログに何も入れないのはイカンです、ハイ。
で、今日はお気に入りのThe Pentangleのアルバムを簡単に紹介します。もっとも、コレも仕事絡みで、来週の月曜に録音する予定の、伊藤政則先生の番組の特番で「テーマは1969」つーことで二人であーだこーだ言いながら、曲やバンドを紹介しようって企画です。
それで、少しは違うものも選んじゃおうかな、という感じで10数枚をチョイスした中で、あんまり69年絡みで出て来ないようなのを、ここでちょいと紹介しようか、と。
67年にデビューして、そんなに大きな話題にも人気もなかったけど、一部のマニアとかミュージシャンから熱い視線を浴びていたバンド、THE PENTANGLE。この作品はまさに69年にリリースされて、彼らとしては初めて大きな話題になり、そこそこヒットし、売れた作品『BASKET OF LIGHT』(BMGファンハウス BVCM-47018)です。この年、やはりイギリスのフォーク/ロック・シーンで重要な位置を占めていたFAIRPORT CONVENTIONも『UNHALFBRICKING」という今にもその重要性をとどめる作品を発表し、そういう意味ではこの頃というのは、英国フォーク/ロック音楽にとってもっとも充実し、かつ、ひとつの頂点を迎えていたというべきかもしれない。
相変わらずここでも紅一点のボーカル、ジャッキー・マクシーは素敵だし、ムサい感じでも腕は確かな二人のギタリスト、バート・ヤンシュとジョン・レンボーンのコラボは絶妙で、彼らのアコースティックなギターから紡ぎ出されるサウンド、音楽はまるで時空を超えて羽ばたくかのような感性に輝いている。
ZEPPのジミー・ペイジが彼らのファンだというのはあまりにも有名で、プレイぶりにもその影響は聞いて取れるほど。ほかにもニール・ヤングやスミスにいたジョニー・マーやオアシスのノエルまでがファンを自称している。なのに、このジャパンではほぼ無名。ああニッポンよ!!ガンバローぜ。
ここの映像はこのアルバムからで、ぼくのお気に入りでもある「Hunting Song」。オリジナルで、内容は、モルガン・フェがアーサー王に贈ったとされる魔法の角の杯の物語にヒントを得たものという。さすが、イギリスですわ。
2009年7月14日火曜日
いよいよ梅雨明け。夏です!Here Comes The Summer
関東地方もいよいよ梅雨明け宣言。
まぁ、ここ2〜3日の暑さは異常だったものねぇ。でも、ついに本格的な日本の夏です。セミもトンボもさぞ喜んでいるでしょう(か?)カブトムシは森ではなく、林でもなく家で繁殖で「出荷」待ちというご時世ですが、それもまぁ時代です。哀しいことですがね。
で、音楽はやっりり、コレでしょう。アイルランドのパンク/ポップ・バンド、「ロンナイ」ではマストの1曲、79年のヒットで「いよいよ夏だよ」ならぬ「Here Comes The Summer 」でしょう。映像もきれいなのを見つけたんで、貼付けておきますね。ボーカルのフィーガル・シャーキー、全然パンクには見えないです。ソロになってからは、むしろポップ・シンガーとして成功しましたものね。
では、よい夏を!!!
まぁ、ここ2〜3日の暑さは異常だったものねぇ。でも、ついに本格的な日本の夏です。セミもトンボもさぞ喜んでいるでしょう(か?)カブトムシは森ではなく、林でもなく家で繁殖で「出荷」待ちというご時世ですが、それもまぁ時代です。哀しいことですがね。
で、音楽はやっりり、コレでしょう。アイルランドのパンク/ポップ・バンド、「ロンナイ」ではマストの1曲、79年のヒットで「いよいよ夏だよ」ならぬ「Here Comes The Summer 」でしょう。映像もきれいなのを見つけたんで、貼付けておきますね。ボーカルのフィーガル・シャーキー、全然パンクには見えないです。ソロになってからは、むしろポップ・シンガーとして成功しましたものね。
では、よい夏を!!!
2009年7月9日木曜日
いよいよ今週末サタデーナイトです!!
しつこいようですが、告知です。何しろ、まだまだたくさんの人に届いてないみたいなんで。
今週末、土曜日11日です。新宿のロフトでLONDON NITEの夏祭りともいうべき「SUMMER
JAMBOREE '09」があります。HPに詳しく出てますが、確認です。スタートは夜11時から。オールナイトです。
歌舞伎町ということで、なんだかヤバソー、と思ってる人いるかもしれないけど、最近の新宿はどこも全然ヤバくないんですね。副都心計画が進行してからというもの、むしろ、街は淋しくなってます。あちらの業界関係の方々もほとんど姿がありませんし、いるのはホストやキャバ関係のお兄さんやお姉さんばかり。
つーことで、おまわりさんだけが一番コワいのかも。いや、まぁ、冗談ですけど・・・。
で、是非ともみなさんとともにロッキンな夜を過ごそうと、今回は広く言うならガレージ系、でも自分的にはパブ・ロックな感じでバンドの諸君をお誘いしました。特にマモルくんは日本の代表格ですね。ブルースハープも冴え渡り、いなたさもいい感じで。
映像がなかったのでここはROTARのCDにも入っていた、夜のストレンジャーズ、通称、夜ストのライブをちょいとご覧頂きましょう。彼らをちゃんと紹介してくれたのは、怒髪天の増子兄貴ですが、彼が「弟分」と言うだけはあります。もちろん、ミネソタもストンピンもJ-POPにはない味が濃いんです。
では、雨が降ろうが槍が降ろうがおいで下さい。お待ちしております。
2009年7月6日月曜日
遠い世界に/五つの赤い風船
昨日(土曜日)は、下北沢で行われたワタシのラジオの相方で、DJのKatchin'の初めてのセルフ・プロデュース・イベント(正確にはそうじゃないかもです)、ここにも告知した『DISOCILLATORS』に出かけて来ました。
深夜1時過ぎに着いた下北沢の街は、何だかオシャレなようで、その実は新宿みたいな雑多な飲食店やクラブ、コンビニなどが若者たちを惹き付けけるナイスなニオイのところでした。ま、あの界隈に行ったのは、もう10数年も昔だから、街の様子はかなり違ってましたが。
イベントは正直、お客さんの入りはイマイチでしたが、個人的にはエンジョイしました。楽屋がエラク楽しくて・・・。ヒカルやヨーイチウロー、イハラ、イナバなどの新旧のロンナイDJから、元気になったNくんや、マージャンメイトのヤマちゃん、チョー久々のKさんとかいろんな人たちがいて、思わず話に花が咲きました。カンちゃんが相変わらずイイ感じでした。でも、バロンの時よりはフツーでしたね。中野が格闘家のYさんと来ていたのにもビックリ。どういう繋がりなんでしょうか?
ところで、今日は先月の「CROSSROADS」で69年の頃の音楽を紹介した時、日本の作品のひとつとしてレコードをかけたバンド、五つの赤い風船をここでも紹介してみます。
大阪で活動した男女混成のこのフォーク・バンドはリーダーが西岡たかしさんという、日本のフォーク・シーンの黎明の頃に精力的な活動をして、メジャーからもレコード発売したり、決して当時の「アングラ」的な風潮とは距離をおいていた観のある素晴らしいソングライターでミュージシャンで、当時設立されたばかりのインディー・レーベル(まぁアングラですね)のURCから、高田渡さんとの両A面カップリングのLPでデビューしました。今では、滅多に違うアーティストがひとつのCDとかに入っているなんてことはありませんよね。
そのレコードをぼくはたまたま買ったんですが、幸運にも?あんまり頻繁には聴いてなかったせいか、状態もよく、ノイズが少ないので今もちゃんと人前で聴いてもらえるんです。ビートルズとか加山雄三とかはボロボロで、何度も買い替えてるんですけど。
そこでみなさんに聴いてもらった曲が、シングルでも発売された(メジャーのビクターのものでこのアムバムのとはバージョンが少し違います)くらい人気がありました。あの頃の、世の中が安保闘争や学生運動などで、騒然としていた時代の空気感が詰まった作品の好例だと、ぼくは思ってます。
携帯のBBSにも少し書いたけど、今のJ-POPとかの近視眼的恋愛モード満開の歌と違い、呆れるくらいストレートで気恥ずかしいくらい純粋な歌詞は、しかし、あの時代のまさに若い世代の声、であり、商業主義一辺倒の近年の音楽シーンには見られない手作りなストリートのニオイがプンプンしてます。毅然として前を見て感じたままを歌う。そういう時代だったこともあるけど、音楽に人の心の揺れが切に感じられました。
ノーテンキで気楽な日和見主義、なんて揶揄されたこともありましたが、ぼくにはそうは思えないんですよね。頭脳警察とか村八分とかにも通じる剛直なまでの人間臭を感じるんです。でも、メロディーはやるせないまでにキレイなんですから。
2009年7月2日木曜日
DOLLがついに休刊!!!
DOLL 8月号 これが最後になりました。残念。スウェーデンのハードコア特集なんて他のどこがやるわけ?
あちこちに書いたりしましたが、ここにも載せます。
いつかは、と心の中で感じていたけど、実際にそうなると知りなんだかとても淋しい気持ちになりました。
音楽雑誌が売れない、というのは今に始まったことではないし、出版不況なんていうのもよく耳にしている近年。しかし、DOLLは固定客が案外ガッチリ付いているみたいだから、大丈夫じゃないか?と根拠も無く思ってたんだけど、やっぱりダメだったみたい。
正直、ワタシはそんなに深く関わって来ていないし、毎号送ってもらっていたけど、熟読していたわけでもない、ハンパなヒトなんですが、それでも、ライターや評論家のみなさんの熱い記事には、感心したり呆れたり、読みがいのある雑誌だったと今でも思う。
STRANGE DAYSがなくなり、今、DOLLがなくなる。ネット時代だから、では済まされないもっと根の深い問題が潜んでいるんじゃないか、と考えるワタシです。
とにかく、関係者のみなさん、お疲れさまでした。森脇ミッキー美貴夫くん、ホントにご苦労さまでした。そして、ありがとうDOLL!
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