2010年2月16日火曜日

DALE HAWKINS Is Gone. R.I.P.


OH! SUZIE Q The Best Of DALE HAWKINS MVCM-22079 ( CHD-9356)    '96 発売



 デイル・ホーキンズ(ぼくは今までずっと彼を、ホーキンスと呼んでいました。すんません)が13日、ガンのために亡くなりました。73才でした。

 ぼくが彼について知っていることは、彼の人生のホンのごくごく一部で、彼の出世作とされるヒット曲「Suzie Q」のことくらい。そんなぼくが彼について、ここでウンチクを傾けるのもおこがましいんですが、それを重々承知の上で、追悼の意を込めて少しだけコメントさせてもらいます。


 彼が生まれたのは1938年の8月22日、場所はルイジアナ州のゴールドマインという田舎町。彼の父親はミュージシャンだったが、彼がまだ十代の初め頃に殺されてしまい、家族全員が小作人として働くことになった。仕事は主に綿摘みで、それは多くの黒人労働者が南部で歩んだのと同じものだった。ホーキンズはこう言っている。「学校から帰るとビスケットをつまみ、綿摘みに行かなきゃならなかったんだ。すると、畑の中から音楽が聴こえてくる、そして、それがみんなに伝わっていくんだ。ぼくらは黒人の教会のところまでついていき、その人たちの歌を表で聴いていたんだ。」

 彼の音楽が同時代のほかの白人のミュージシャンたちと肌合いが異なるのは、そういう彼の育って来た環境によるところが大きいというのが定説で、つまり、多くの白人ロッカーは、エルヴィスを含めブルースとカントリーとの狭間で新たなロックン・ロールという音楽を、ロカビリーをやっていたのだが、デイルだけは、ほとんどカントリーのテイストがない、むしろブルース一色な感覚のロックン・ロールをやっていたということだ。

 後にボブ・ディランのバックを努めることになるザ・ホークスのリーダーで自身も高名なロック・シンガー/ソングライターである、ロニー・ホーキンズは父親同士が兄弟ということでそのロニーは3才年上の従兄弟というのも、なにか不思議な縁を感じさせる。
 わずか15才で何故か海軍での兵役を終え、53年、地元、シュリーブポートに戻ってスタン・ルイスの経営するレコード・ショップで働きはじめ、すぐにバンド活動も行う。当初のメンバーは、ギターに当時まだ16才だったジェイムズ・バートン(後にリッキー・ネルソンやエルヴィスのバンドでも活躍した偉大なギタリスト)、ベースはジョー・オズボーン、そしてドラムスにはエルヴィスに誘われる前のD.J.フォンタナだった!このメンバーで近くのラジオ局KWKHのスタジオを利用してレコーディングを行い、すぐに、それらはスタン・ルイスの手で、シカゴのチェス・レコードに売り込まれた。彼はその地域のいわばプロモーター兼ディストリビューターでもあったのだ。チェスは彼らに関心を抱き、新しい曲を送るように指示して来た。それで生まれたのが「Suzie Q」だった。そしてチェス参加のチェッカー・レーベルから発売されたその曲は、みるみるうちにチャートの上位まで駆け上り、57年6月に27位にまでランクされた(R&Bチャートでは7位)。


 ジェイムズ・バートンの弾く印象的なリフとサウンド、そこにからむカウベルと手拍子入りのリズムにどこかトライバルな味わいさえするドラムが渾然一体となって、このわずか2分13秒足らずの曲は、その後多くの(ぼくもそのひとりですが)信奉者を生み出すことになる。ぼくがこの曲を強烈に意識することになったのは、68年にジョン・フォガティと兄のトムらによる4人組、CREEDENCE CLEAWATER REVIVAL (CCR)のデビュー・アルバムでの演奏によってだけど、ストーンズもすでにカバーしているのは知っていた。そして、そのオリジネーターが白人のロカビリー・シンガーだと知って、そのレコードを買ったのもその頃だ。CCRに慣れた耳にも、オリジナルの不思議なサウンドは魅力的で、以来、DJでもよく使ってきた。でも、その人が実際どういう人物なのかを知るにはいたらず、今日まで来てしまった。


 そんなぼくに、この偉大なミュージシャンを語る資格はないかもしれないけど、でも、今からでもいいので、デイル・ホーキンズという型破りな天才肌のアーティストがいた、ということをみなさんには是非知っておいていただきたいと、多少の懺悔の気持ちで願っている。
この95年に発売されたベスト盤には、「Suzie Q」以外にもたくさんの面白い曲が入っている。デイル、安らかなれ。

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